“THE LAST BOMB”「最後の爆弾」について

        《ナレーション等のテキスト化と翻訳:神垣惟秀(かみがき のぶひで)》

  “THE LAST BOMB”の 英文テキスト

  “THE LAST BOMB”「最後の爆弾」の 日本語翻訳文

   ビデオ “THE LAST BOMB”「最後の爆弾」

A) タイトルについて

 1。表題は、映画最初の部分に出でてくる「to the last bomb」から 取った語句だと思います。
  なお、海野十三日記に「最後の爆弾」の語句がでています。

 2。海野十三敗戦日記
 十二月十六日(1946年)
  ◯ ラジオの伝えるところによれば、アメリカでは天然色映画
   「最後の爆弾」が完成せし由。
   長崎への原子爆弾投下もうつされていると。

 3。ニューヨークタイムズ 1946年10月23日に、
   The Last Bomb 完成の記事があります。

 ATOMIC BOMB FILM IS MADE IN COLOR; The Last Bomb,'
  Screened by Warners With AAF Aid, Shows Nagasaki Blast
   October 23, 1946, Wednesday
   Section: Amusements, Page 48, 273 words

 ニューヨーク・タイムズ 1946年10月23日記事内容

  原子爆弾カラー映画を制作

  「最後の爆弾」が陸軍航空隊の協力で
  ワーナーが映画化
  長崎の原爆炸裂を実写

 原子爆弾の爆発を伝えるカラー映画が初めて公開される。
 映像は長崎に投下された原爆で上映時間はリール2本分。
 題名「最後の爆弾」(The Last Bomb)である。
 ワーナーブラザーズ制作の陸軍航空隊協力映画で、
昨日、一般公開に先立ち報道陣への試写会が開催された。

 来る11月23日、全国的に非営利で劇場公開がされる予定である。

  紫色がかった灰色が、先端では真珠色へと変化をしていく巨大なキノコ雲の写真は、
はるか上空の飛行機から撮影をしたもので、上映時間はほんの数秒間である。
 この場面はB29爆撃機による東京大空襲のカラー実写に続いて、出てくる。
 東京大空襲の前には、爆撃機がグアム、テニアン、サイパンから離陸していく場面、
さらに硫黄島を飛び立ったP-51による戦闘機の組織的な掩護活動などが紹介されている。
  映画の中では、東京への爆撃航程、攻撃をしかける日本軍戦闘機を激しく撃退する場面、
損傷を受けたB29の帰還と機銃掃射をして硫黄島基地へと戻って来たムスタングなどがでてくるが、
いずれも戦闘参加の機中から実際に撮影したものである。
  映画では、太平洋の島々から作戦行動をした第21爆撃機兵団の指揮者、カーチス・ルメイ陸軍少将に敬意を表して、
この激しい爆撃が「ルメイのもてなし」と命名されている。
 ルメイ将軍は当試写会に陸軍航空隊広報将校エメット・(ロウジー)・オドネル准将とともに出席をした。
  [ニューヨーク・タイムズ 1946年10月23日]
 “The New York Times"原文    神垣 惟秀(のぶひで) 訳

 4。「硫黄島の真実と東京大空襲」 DVD/VIDEO 2007/04/18 Release
■ 東京大空襲・最後の爆撃 THE LAST BOMB
  1947年製作/カラー/約35分
《商品紹介》
 硫黄島攻略後の米軍による本土攻撃を記録した
「東京大空襲・最後の爆撃」を日本初の完全版で収録。
硫黄島の占領により本土爆撃への重要な拠点を押さえた米軍は日本全土への大爆撃を展開した。
グアムを発進したB-29爆撃機は援護するP-51戦闘機隊と合流、富士山を目標に旋回し、東京への爆撃を開始する。
司令室での作戦会議の様子やB-29機内の様子、日本軍機との交戦、そして原爆投下の瞬間に至るまで、作戦の一部始終を追跡した貴重な記録。

B) 制作・公開の時期

 1。1946年度 第19回アカデミー賞(1946年3月7日 /ロサンジェルス)
  ドキュメント部最優秀作品(Best Documentary,Features)として
   候補作品:The Last Bomb (1945)- U.S. Army Air Force
受賞作品:The Glory (1945)-Government of Great Britain; Government of USAとの記録があります。

 アカデミー賞は授賞式前年の1年間に公開された作品を対象にすることから判断をすると、
1945年には公開されていたと考えられます。

 2。The Last Bomb (1945) に並んで The Last Bomb (ca 1945)
 [=1945あたり]と標記したものもインターネット上で見られます。(ca = about)

 3。上記 A) 2,3 との関連で
     1945年に制作・公開
     1946年になって、配給会社を通じて一般に公開されたか、
 あるいはマスコミの話題になった。
  → ニューヨークタイムズの記事 → 日本のラジオ放送となった。
 と考えるのが自然ではないかと思っています。

 C. The Last Bomb (1945)
キャスト・クレジットタイトル・受賞
1.出演者
      Reed Hadley.......ナレーター
James Seay .........指令官
Arthur Kennedy...搭乗員
Don Taylor...........射撃手
       Curtis LeMay 
2.クレジットタイトル (cf.映画の字幕)
       監督.....................Frank Lloyd
3.受賞
      1945年度(第18回)アカデミー賞、
       最優秀ドキュメント作品としてノミネートされる。

                 以上


 なお、この映画ビデオの存在は、
「武蔵野の空襲と戦争遺跡を記録する会」の牛田守彦氏に教えていただきました。

 この映画ビデオについて、工藤洋三氏は
「このフィルムは米陸軍航空軍が宣伝用に制作したもので,
実写部分とスタジオでの撮影から構成されています.
マリアナから中島飛行機武蔵製作所を攻撃するというストーリーですが,
実際に空襲しているのは神戸市街地です.
機内の様子はスタジオでの撮影です.
ただそのようなフィルムであったとしても,
グアムの作戦室の様子など参考になる部分がたくさんあります.」
と解説されています。


    @ 米軍制作・・呉空襲の成果をどのように伝えたか・・
   《参考資料・ Kure Navalbase 1945 「1945年の呉軍港」ビデオと解説》



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