呉戦災ーあれから六十年

 目次と「はじめに」「おわりに」を全文紹介

     目次

 はじめに

 第一部 呉戦災六十周年記念募集体験記

 T 炎の嵐
呉戦災の全てを体験した私の学徒時代  佐藤  裕
学徒動員の記憶 ―道路を炎が走った  藤居 由和
人生を考えるきっかけをつくってくれた空襲  斉藤久仁子
手記  増田 恭人
ある郵便局員の回顧録  三上 勇
夫 私の戦時体験  河上 利男
昭和二十年の日記  神垣 増雄

 U 教室を追われて工場へ
紅の血燃ゆれど  大久保圭子
学徒動員による戦中体験記  中西 弘子
九三式中練試飛行図  藤井キヨ子
広第十一空廠についての体験談  杉野恵美子
学徒動員中の呉大空襲  栗村 英子
学徒動員と二度の空襲  福岡都喜子
竹原高等女学校学徒動員について  木原 芳枝
県立竹原高等女学校勤労動員  田中眞佐子
戦争中の生活体験  西迫マツ子
飢えていた私達  奥本実和子 
学徒動員体験記  岸本 典子 
偶然が命を救う  東林 英子 
暑い夜  住吉 典子 
学徒動員から六十年  中島 澄江
動員と空襲  多田 静子
八月の手記 ―― 私と戦争  山田ミサ子
学徒動員  宮内後広子
旅行証明書  田中 幸子 
呉湾の今昔  山中 和子
大空寮  西田登喜子 
生き地獄  杉原 幸子

 V 銀翼の影の下で ―― 初空襲の日
呉軍港の空襲  木村フジエ 
呉初空襲  竹本 博治 
呉空襲と父の死  小瀬 利治
奪われた青春、戦忘れない  広本  積 

 W 眠れぬ疎開の日々
私の戦争 ― 学童疎開体験記  久万 正栄 
子供たちの太平洋戦争 ―岩方国民学校児童の集団疎開―  山崎  優
哀れな記憶 ―― 断片  朝倉 邦夫

 X 五月の黒い空
「タコツボ」に生きる  住原 哲二 
工場死守のためのタコツボ入り  四宮 静雄 
爆弾と「タコツボ」  佐々木 茂
阿賀町での空襲  Sさん

 Y 工廠爆撃の恐怖
呉工廠の空襲と市街地の焼夷弾空襲に遭遇して  藤久 常夫 
呉市街地と呉工廠の思い出  松本 春義 
呉海軍工廠砲熕部の空襲  村上 久夫

 Z 炎と煙」にまかれて
炎の記憶  濱本 義人 
呉空襲の体験  信太サカヱ 
呉市史を正す ― 吉浦地区の被害と体験  中田 文芳
呉市における生活体験記  守屋  優
戦災も原爆の延長線にある  奥川  忠
三世代に語り継ぐ  中宗 洋子
呉空襲の記憶  中田 芳子
五十三年ぶりのいれいひ  中宗 政成
呉空襲と当時の生活風景  藤川 順子
呉市街地の空襲  吉原 忠司
呉市街地空襲について  中塩 寛治 
空襲  河野 久恵
呉空襲を顧みて  戸田 貞子 
戦時中の思い出  真苗チヅ子 
防空壕の思い出  岡崎 和子
勤労動員と呉空襲の体験  小川 宮三
自分史上にみる戦災記  村田 隆子
呉戦災体験記  蔵下 一士
家族と家を焼かれて  中下 量人 

  〈資料〉空襲被害対策ニ関スル件
  〈資料〉呉空襲犠牲者数各種統計一覧表
  〈資料〉米国戦略調査団への提出資料 呉空襲被災統計
  〈資料〉爆弾投下統計

 [ 火の空と血の海のあいだ
「伏龍」特攻隊と戦艦「日向」の戦闘  石井  康
呉軍港戦闘記  黒永  忠 
一信号兵の思い出  大皿 俊治
「日向」軍艦旗返還の思い出  浜 万寿生 

 \ 潤いなくして
呉海軍鎮守府建設頃の挿話及び呉空襲を目撃  植田  盈 
戦時下の郷原・黒瀬  加納 清子 
戦時中の生活について  横間フキエ 

 ] 戦場の暮らし 海軍哀愁の栞  原田  初
戦火のなかの呉海軍病院  松岡 幸子
加害の体験を見つめて  久保田哲二
  〈資料〉布告 昭和二十年八月十五日 呉鎮守府
  〈資料〉連合軍進駐地付近住民ノ心得 広島県警察部

 ]T 記憶と和解 弔意と平和を希求ー戦災死者名簿の公開  朝倉 邦夫
祝詞  工僚神社 宮司 佐々木尚宏
  祭神人名帳 工僚神社
殉国之塔について  横間フキエ 
  殉国の塔殉職者名簿
お地蔵さん  宮本 澄枝 
  地蔵尊建立趣意書
  呉市空爆死亡者名簿 供養地蔵尊

   第二部 米軍による呉市民尋問録

 米軍による呉市民尋問録   神垣 惟秀
  〈資料〉回答者一覧
  〈資料〉呉市への尋問調査  吉田巍彦 訳

   第三部 米軍パイロットの呉空襲体験記
 米軍パイロットの呉空襲体験記   吉田 巍彦

 T 三月一九日 「紫電改」と米海兵隊機の空中戦
「紫電改」の邀撃で全身傷だらけの帰還
一九四五年三月一九日 呉地方攻撃 概要(一)
一九四五年三月一九日 呉地方攻撃 概要(二)
死闘三〇分―ついにとらえた「紫電改」 のイラスト
報告に「紫電改」初登場 敵機の強烈な印象
敵機空軍パイロットは精鋭
日本機の撃墜・損傷記録 十四機
米軍の損失も甚大
一機帰投なし 三名生死不明
六名が戦闘中行方不明
日本の空母「天城」を攻撃
「大和」攻撃誤認報告
カボット艦載機の写真撮影

 U 三月一九日 大和攻撃
大和をめぐって(一)
大和をめぐって(二)
大和をめぐって(三)
七万トン超の「大和」を四万八千トンの新情報で
大和をめぐって(四)
大和攻撃略図
広島湾においてベニントン艦載機ヘルダイバー、大和型を攻撃

 V 四月七日
 大和の最期
主砲による三式弾の砲火を浴びつつ
一九四五年四月七日「大和」攻撃抜粋
大和攻撃 ―― 二回目の交戦

 W 七月二四日〜二八日 
「天城」「葛城」攻撃 偽装艦三隻発見、次の攻撃目標に
一九四五年七月二四日 呉地方攻撃 概要
「利根」への攻撃
「日向」をめぐって
一九四五年七月二五日 呉地方攻撃 概要
一九四五年七月二八日 呉地方攻撃 概要
偽装した日本艦船を攻撃(1)(2)

 X 撃墜されたパイロットたちの記録
呉海軍刑務所に収監された米飛行士一覧
呉近辺の墜落米パイロットの公開調査
 Y 追記

   おわりに
             目次 おわり

    本文
呉戦災ーあれから60年

 はじめに     呉戦災を記録する会 代表 朝倉邦夫

 あれから六十年経ちました。
 六十年の時代を昔風に言えば、二世代に当たり、出来事も歴史の彼方へ押し流され、人々の記憶からも遠ざかるものです。
 しかし、呉の歴史で空前の犠牲者を出した「呉戦災」は呉市が続く限り、市民の脳裏から忘れ去られることは無いでしょう。
 六十周年を節目にして「呉戦災を記録する会」が戦災体験記を募集する時、もう時代が移り代わり、体験者も減少し、記憶も薄れ、応募する人は少ないのではないかと危惧しました。
 この事業は呉市教育委員会や呉市老人クラブ連合会のご後援を賜り、ご協力を得たお陰で、始まってみると、前回の五十周年記念の時よりも多くの体験記が寄せられました。
 しかも、寄せられた体験記は、今までじっと秘められていただけに思いも深く、お持ちの体験記録も驚くような詳しさと資料の豊富さに圧倒されるものが多くありました。
 今、NHKでも「昭和二十年の『記憶』」を毎日放送していますが、これに劣らぬ日記や体験を提供していただき、それを見ますと、当時の市民の生活や思いが切実に汲み取れます。
 どの人も戦争をしたくない、平和であって欲しいと願いながらも、国家の行う戦争の大きな波に飲み込まれ、苦しい耐乏生活を余儀なくされ、自由を束縛されて、したいこともできず、空襲の爆撃に怯え、多くの人が戦災死傷し、財産を失うなど、大きな被害を受けました。
 この体験記を読みますと、困難の中でも全力を振り絞って生きた姿が描かれており、今を生きる人々に勇気と希望を与えてくれる貴重な資料だと思います。
 多くの人が体験しているように、戦時中の情報は誇張や虚偽に満ち、真相を隠して国民を誤らせました。
 しかし、おかしいと気づき、批判的に見ていた人も多く居たことが日記や体験記の中で、また米軍の市民に対する尋問録にも散見され、どんな困難な時代にも冷静に事態を見ていた人がいたことに、改めて敬意を表する思いです。
 今では、騙されていた事を多くの人が知っていますが、騙される状況は現在もあまり変わりはなく、この体験記を読みながら、現在の世情を見るとき、もっと大きな目で世の中の動きを見ることの大切さを教えてくれます。
 このことを考えると、空襲被害の実態を掘り起こし、その悲惨な体験を伝ええる事は、平和を願う気持ちを何時までも持ち続けるうえで大切な役割を果たしていると思います。
 今回の体験記録集の大きな特色は、六十年の歳月を経てもなお、空襲や戦争の忌まわしい記憶を持ち続けた人があり、その体験を今になって出さざるを得なくなった真情が良く出ていることです。
 ところで、日本の戦争記録はたいへん不正確で、多くの虚偽も含まれていたり、敗戦の混乱から多くの資料が消滅しています。
 この少ない戦災資料を補ってくれる資料に市民の空襲・戦災体験記があり、また、米軍の記録があります。 特に米軍の資料は極めて正確で、しかも、きちんと保存もされていて、空襲の実態を解明する上で欠かせないものになっています。
 呉戦災を記録する会は、これまでに、この米軍資料を利用して、呉空襲の諸問題を解明し、この成果を市民に還元するための活動をしてきました。
 映画「赤い月の街――呉空襲――」や写真画報「呉の戦災」、五十周年記念の「黒い盆地――呉市民の戦災応募体験記と資料――」を出版したり、数多くの「空襲――戦災展」を開催し、市民の戦災体験や米軍資料を公開して、呉空襲の実態を解明してきました。
 今回出版する「呉戦災 あれから六十年」は新たに募集した体験記録と共に、今まで収録されていなかった「米軍による呉市民尋問録」や「米艦載機の戦闘報告」を訳出し、戦争の真実を明らかにする努力を試みました。
 この米軍資料はタイプが潰れていたり、癖のある筆記体もあり解読に苦労しましたが、会員の吉田巍彦(たかよし)さんや神垣惟秀(のぶひで)さんのご尽力で解読できました。  ただ残念なことに、紙数に制限があるため、全文が載せられず、一部の資料しか掲載できませんが、呉市民尋問録では終戦直後の市民の声を聞くことができ、「米艦載機の戦闘報告」では統計資料化した戦闘報告や撃墜米軍の捕虜の解明もあり、共に貴重な資料となっています。
 特に、「米艦載機の戦闘報告」の記録は膨大で、この英文を読み取るのが第一の関門で、ついで、五六四ページ、九八件についての報告を新しい視点で分類整理して表にまとめ、日本海軍艦船・航空隊と米艦載機との戦闘を解読し、「米軍パイロットの呉空襲体験記」として興味深いものを記載しました。
 昨年、国連で、第二次世界大戦の「記憶と和解」の推進が決議されました。これは、戦災体験を風化させることなく、正確に掘り起こして「記憶」に留めると共に、世界が「和解」に向けて努力し、平和を目指すことを求めたものです。
 日本各地の「空襲・戦災を記録する会」の「体験記録」は、日本人の被災体験が殆どで、たまに加害記体験が出されることもありますが、日本を攻撃した「米軍兵士の体験記録」を出した例はありません。
 呉空襲の日本側体験記録と共に、米軍パイロットの空襲体験を併せ記載することにより、無残な戦争体験を双方の側から描き出すことで、「和解」に向けた平和への歩みに役立つかもしれません。
            はじめに 終


おわりに     呉戦災を記録する会 代表 朝倉邦夫

 あれから六十年も経つのに、呉空襲・戦災の全貌が未だに、特に、被災数値や被災者名が正確に分かっていません。
 再調査を行い、資料を確認しようとして、県庁・県警察本部・呉市役所・呉警察署・呉消防署へ行きましたが、全ての公文書が破棄されて、記録が全く保存されていませんでした。
 犠牲者名や人数、被災家屋名や戸数、罹災者名や罹災者数、など基本的な資料すら保存されていないことを不審に思います。
 法定保存期間が過ぎたという理由で廃棄したのですが、そこに行政の空襲被災に対する認識の甘さや、被災者に対する支援の薄さを感じます。
 呉市は、罹災証明書の発行や救援物資・見舞金を支給しました。被災者名や被災家屋名が明確に登録されていたから出来たことです。
 それに基いて作成された統計資料は、時間の経過と共に、転記・修正加筆・誤記される中で、その後の各種統計に表記されたが、その根拠となっている資料が一切ないので、統計数値の信頼性を損ねています。
 調査の中で、呉市議会の事務局に、昭和二十年の議事記録と速記録が残されているのが見つかりました。読むと、当時の議員の、市民生活支援や呉市復興を望む熱弁が見られ、今後、機会がありましたら、市民の皆さまにご紹介したいと思います。
 実は、呉市は戦災死者名簿を持っているそうですが、プライバシーを口実に見せていただけません。その名簿に基き、毎年、「呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和記念の日」の行事を行うための招待状を発送しているそうです。
 全国各地、広島や沖縄などでも、戦災死者の銘版を設立し、具体的な死者名を対象に、犠牲となった死を悼み、慰霊を行う中で、平和への思いを深めています。呉でも犠牲となられた戦災死者名を明らかにし、戦災の「記憶」を正確に蘇らせることが、今後の課題だと思います。
 新しい資料として、県立文書館の「山岡資料」の「空襲被害対策ニ関スル件」のように、空襲直後の、公文書の生資料が見つかることもあります。個人の「神垣日記」のように綿密な記録が出れば、これまた、具体的な状況が判明してきますから、今後も気長に探して、より正確な記録を残していかねばなりません。
 米軍の呉空襲の精密な記録が保存されていますが、資料の発掘も、翻訳も解読も十分ではありません。
 今回、空襲で焼失する前の、昭和二十年四月十二日撮影の精密な航空写真を入手しました。立体写真で、大きく引き伸ばしても鮮明な画像になり、町並みもくっきりと再現できます。何とか市民の皆さまのお目に掛けられるようにしたいものです。
 これ等の資料の空白を埋め、呉空襲の実態を知るには、何と言っても「体験記」に勝るものはありません。記憶違いはあるかも知れませんが、多くの体験を付き合わせていくうちに修正されて、全体の状況が判明していきます。
 呉空襲・戦災の実状が「歴史」として定着していくには、未だ当分の間、資料・体験記の収集が急がれています。これからも多くの方が、戦災体験記や資料をお寄せくださることを期待しています。
 この「体験記」の不足を補う資料や、かつて出版した映画、体験記、行政・米軍資料を見たい方は、呉戦災を記録する会のホームページをご覧下さい。
                おわりに 終

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