呉の誇るべき革命的伝統は

               広島県平和委員会《呉基地ガイド》より

 反戦水兵たちによる「聳ゆるマスト」の発行です。
戦前の天皇制暗黒時代、日本共産党は、呉では「聳ゆるマスト」(1932年2月創刊)、
全国的には「兵士の友」(1932年9月創刊)などを発行して、兵士や水兵のなかにも反戦闘争をひろげました。
 とくに呉軍港では坂口喜一郎らの指導者とそのあとをつぐ反戦水兵たちの手によって
「聳ゆるマスト」は第6号(32年10月)まで発行がつづけられました。
その印刷と配布には若い女性をふくむ呉地区の労働者や青年の献身的な協力がありました。
こうして多数の「聳ゆるマスト」と「赤旗」が現役水兵のあいだに配布されたのです。

また、共産青年同盟呉地区の「煙る港」や呉海軍工廠党組織の「唸るクレーン」などの新聞も発行され、
海軍直営の工場に働く労働者、青年のなかに配布されました。

1932年11月から12月にかけて、呉、横須賀軍港の反戦水兵とその協力者たちは天皇制政府の弾圧によって逮捕されました。
 坂口喜一郎は約400日後の33年12月、未決のまま広島刑務所で獄死し、他の反戦水兵たちは治安維持法違反として
呉と横須賀の軍法会議で有罪判決を受け、いずれも監獄につながれることになりました。
 天皇の「お召艦」だった高速巡洋艦「榛名」に日本共産党の組織がうまれたことも支配層に衝撃をあたえました。

 現役水兵の小倉正弘の記憶によると、呉海軍の現役水兵に配布していた「赤旗」や
「聳ゆるマスト」は、毎号約100部であったといいます。
 「赤旗」を持っているだけでも、懲役刑で投獄されることもある戦前の弾圧下でしたが、32年夏から秋にかけての当時は、
活版5日刊の「赤旗」が7千部も発行されて、戦前で最高の発行部数に達した時期でした。
 その時期でも1ケ所で約100部の「赤旗」が配布されていた工場や大学などはなかったのではないでしょうか。
 呉海軍で在港している現役水兵を仮に1万名としてみると、100名のうち1名の読者です。
素晴らしい活動と言わなければなりません。



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