2、原水禁運動と平和教育の課題

     U、特別講義 「私の平和論:ヒロシマをめぐって」 平岡 敬(前広島市長)

平成17年度 広島大学 公開講座 「広島から世界の平和について考える」
主催 広島大学文書館
第4回 2005年9月15日  会場 広島大学医学部 広仁会館

 特別講義 「私の平和論:ヒロシマをめぐって」  平岡 敬(前広島市長)

 かつて「偏見と差別」の著作で、「国家とは何か、国家から見捨てられた民衆、その民衆の争い」について述べてきた。
 1、核保有国の増大  2、核兵器の小型化などの研究、開発(垂直拡散)
 3、核被爆の拡大   4、核のブラックマーケットからの拡散
 原爆慰霊碑に、人類の一員として「安らかに眠ってください、過ちは再び繰り返しません」と記し、碑文論争も起こったが、
現在では「墓の底から呼んでください、再び過ちが繰り返されそうです」と記さねばならない状況だ。
 今も白血病で死んでいく(殺されていく)、それも平和の名の下に隠されていく。

 1954年、ビキニで第5福竜丸が水爆実験で被爆し、原水禁運動が高揚したが、それまでの「人類の一員・世界市民」の立場から、
「唯一の被爆国・国民意識」へ変換され、被爆韓国人問題がおこる。
 1965年、韓国人(馬山市・白氏)からの手紙で「なぜ韓国人が被爆したか」、植民地支配の加害意識がないことが問題意識に上る。
 原水禁運動・被団協は連帯できず、新しい平和運動を構築できなかった。加害意識がないことで、世界市民としての反核運動にならなかった。
 加害と被害の両面を訴えないと世界で普遍性を持つことが出来ず、世界中で理解されない。
「唯一の被爆国」と被害を強調して「核の傘」の下で「反核」を訴えても世界の理解は得られない。
 アジア諸国に対する加害とアメリカに対する被害の整理をした上での反核平和運動でないと、
日米安保の国家に取り込まれるだけで、米日の手先とみなされる。
 1897年、「平和宣言」で「核のカサ」の下から出ようと訴えた。
核廃絶の思想(人類絶滅の危機の回避)は国家の利害(国家自衛権の否認)と対立する。
 核兵器を否定する立場は不戦・非暴力の立場に立たざるを得ず、生き方の問題になる。
 ヒロシマで何を生み出したか。反核思想だけなのか。それでは被曝者の階層分化の中で思想の分裂が起こり、個々人を押しつぶす。
 戦後、ドイツではマスコミ・ジャーナリズムは自己批判して再出発をした。日本では、マスコミは反省していない。原爆は日本を変えなかった。
 被曝者像はマスコミが作り上げ、放射線被害を特別化していき、他の戦災者との連帯を妨げた。
戦争全体の被害の中の一部として捉えないと連帯は出来ないし、共感を得られない。
 戦争をなぜ起こすのか、そのプロセスを明らかにすることが大切で、それが不十分な現在は戦前の状況と似ており、戦争への道を歩み続けている。
 原爆は戦前の体制、考え方を変えることが出来なかった。
60年の歩みで問うことをしなかった国家のあり方、核のカサ、浪費生活。
世界の現実とヒロシマをどう結合させるか、原水禁運動を反省し、世界の現状に目を向けるべきである。
 現在の社会は工業中心と効率化を追求しているので、現実肯定では弱者切捨ての思想(ナチの思想)の思想的退廃に陥っていく。

 核の皆殺し思想を克服するには、ヒロシマの体験だけを語ったり、唯一の被爆国と言うのをやめて、国家を乗り越え、弱者に注視すべきだ。

 核兵器廃絶は最終目標ではない。
どんな社会を目指すのか、ヒロシマの教訓は科学技術の利用において、人間の欲望のコントロールの必要性・自制を以って倫理性の実践を命じている。

 (特別講義への感想)

 良くぞ言ってくれた、の思いでいっぱいだった。
 帰途、平岡氏と話したが、原水禁運動のあり方やマスコミのあり方に言及されていた。




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