11・2 広島県9条の会ネットワーク

  九条の会事務局長 小森陽一が語る  小森陽一さん
  「主権者を磨き、憲法九条を奏でる」講演会の状況報告

 広島県9条の会ネットワークは、結成二周年を迎える「ひろしま医療人・9条の会」
と共催で憲法公布記念日の前11月2日午後、国際会議場ヒマワリを会場に講演会を聞いた。 講師は「九条の会」事務局長の小森陽一さん。用意した三五〇席が満員となった。
なお、午前中、「子どもの本・九条の会広島」(準備会)が、「宮沢賢治と憲法のこころ」と題して小森さんの講演会も聞かれた。
 講演会の最初は今年5月の幕張で聞かれた「9条世界会議」のダイジェストビデオを上映。
これを受けて小森さんは、世界会議の前日のレセプションの司会で「憲法9条のあるこの国へようこそ」と挨拶したことを紹介。
小森さんは、読売新聞世論調査で「憲法9条を変えないでよい」が多数派を占めたとして「九条の会」の運動の成果を強調した。
 93年は、メリカの要求で自衛隊海外派兵のために明文改憲の使命を受けて小沢氏が自民党を割って政界再編をした年だ。
危機感を持って04年「憲法再生フォーラム」を作った。七割が改憲賛成なら明文改憲になる。
かって護憲勢力は、社会党、総評、市民だったが社会党、総評が崩壊した。後は市民の力。そこに働きかける草の根の運動が鍵だと読んで「九条の会」を立ち上げた。
しかし、記者会見には沢山の取材が来たが放送も新聞も惨憺たるものだった。
小田実さん(故人)は「本当にマスコミはひどい。自分たちでやる」。
これを契機に「九条の会」が各地で講演会を開く。どこでも大成功を収めた。広島でも第二、第三会場を埋めた。
 06年、安倍政権が誕生し、「九条の会」は六八〇〇を超えた。
07年参院選で自公が敗北。民主・小沢代表が「テロ対策特措法」反対に舵を切った。それが安倍政権を崩壊させた。
08年福田政権も崩壊した。安倍首相はブッシュ大統領の強い要求を突きつけられ「国際公約」と啖呵を切った。
福田首相もアメリカからアフガンヘの陸自派遣の要請を受けて調査団まで出した。
8月に臨時国会を開くはずだったがペシヤワール会の伊藤和也さんが残酷な殺し方で遺体で発見された。都市政党の公明党が反対した。そして辞任となった。
 「主権者力を磨く」ということはどういうことか。マスコミ報道を見抜く力、因果関係をたどることが重要だ。
自分の思考力で突破することだ。「なぜ」「なぜ」という問いを二つ連続で考えること。できれば、もう一つ「なぜ」と考える。
われわれ庶民にとって記憶力と歴史認識が大切。今の現象を過去とつないで考えることがだまされない秘訣だ。
 今回行われようとしている総選挙は「政権交代」といわれるが中身を見ないといけない。 民主党の小沢代表の過去をしっかり見ることが大事だ。
91年自民党の幹事長だった小沢氏は湾岸戦争で自衛隊海外派兵に道を関いた。
それまで自民党は海外派兵は憲法違反の立場だった。
湾岸戦争で一三五億ドルを拠出したが米は「血を流せ」と要求。小沢氏は、日本の平和と安全の前提が崩れたのだから派兵はいいのだと主張する。
そのために自民を離れた。93年の宮沢政権崩壊、細川非自民七党一派連立政権につづく。
そして昨年の読売新聞が主導した「大連立で改憲」になった。
そもそも小沢論は「国連決議があれば武装派兵は可能」というものだ。
 小森さんは、自民党新憲法草案、国連憲章についても解明し、アメリカの朝鮮政策にも言及、なぜ三八度線がいまだにあるのか。
日本が六カ国協議を主導したらどうなるか。
朝鮮非核化と日本を非核化しアメリカ、中国とロシアと多国間条約を結びことが、守るための運動ではなく、本当の意味で平和を作る運動=ピースロードである。
一緒にがんばろうと激励しました。
(引用:ヒロシマ革新懇ニュース 192号 11月号 20008.11.5.)

広島県内の「九条の会」発足状況 (2009年1月4日号 「広島民報」から転載)

  県ネット1、地域センター2、分野20、地域32、職域15、準備会2。
 (敬称略、ヒロシマ革新懇調べ)2008年12月10日現在
   広島県内の「九条の会」名簿



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