「著名人の反戦平和アピール」紹介

「今、平和を語る」 アーカイブ(参照) 毎日新聞(大阪版夕刊) 毎月1回(月末の月曜日)

 2007年1月〜2016年3月現在 109人目 ≪今回を以て連載は終了≫

2016年6月10日 再編集・集大成し単行本として集英社から発刊された。

 ご紹介

 「わたしの戦争と平和」 表紙カバー   目次の紹介(PDF)  広岩近広 編 集英社 1600円



  《参考関連資料》
  世界平和アピール七人委員会
 「日本の岐路と日本国憲法の重み」

 2016年3月28日  NO.109 作家・高村薫さん
 2016年2月22日  NO.108 山口大教授・纐纈厚さん
 2016年1月25日  NO.107 政治学者・白井 聡さん
 2015年12月21日  NO.106 文芸評論家・加藤典洋さん
 2015年11月30日  NO.105 政治学者・中野晃一さん
 2015年10月26日  NO.104 哲学者・柄谷行人さん
 2015年09月28日  NO.103 弁護士・伊藤 真さん
 2015年08月17日  NO.102 思想家・内田樹さん
 2015年07月25日  NO.101 軍事評論家・前田哲男さん
 2015年06月15日  NO.100 ジャーナリスト・田原総一朗さん
 2015年05月25日  NO.99 歴史家・色川大吉さん
 2015年04月27日  NO.98 元沖縄県知事・大田昌秀さん
 2015年3月23日  NO.97 元首相・村山富市さん
 2015年02月23日  NO.96 服飾デザイナー・森南海子さん
 2015年1月26日  NO.95 作家・戦時史研究家・山中 恒さん
 2014年12月15日  NO.94 宇宙物理学者・池内 了さん
 2014年11月17日  NO.93 弁護士、国際人権NGO事務局長・伊藤和子さん
 2014年10月27日  NO.92 作家・森村誠一さん
 2014年09月29日  NO.91 京大人文科学研究所所長・山室信一さん
 2014年08月18日  NO.90 僧侶・教育者、無着成恭さん
 2014年07月28日  NO.89 衆議院議員・元外相、岡田克也さん
 2014年06月23日  NO.88 歴史学者・上田正昭さん
 2014年05月26日  NO.87 教育研究者・大田堯さん
 2014年04月28日  NO.86 洋画家・野見山暁治さん
 2014年03月24日  NO.85 映画監督・篠田正浩さん
 2014年02月17日  NO.84 第五福竜丸平和協会代表理事・川崎昭一郎さん
 2014年01月20日  NO.83 九州大学大学院准教授・直野章子さん
 2013年12月16日  NO.82 作家・高村薫さん
 2013年11月25日  NO.81 明治学院大学国際学部教授・高原孝生さん
 2013年10月28日  NO.80 法政大学社会学部教授・田中優子さん
 2013年09月30日  NO.79 ジャーナリスト・元共同通信編集主幹・原寿雄さん
 2013年08月26日  NO.78 直木賞作家・作詩家・なかにし礼さん
 2013年07月29日  NO.77 広島原爆被爆者援護事業団理事長・鎌田七男さん
 2013年06月24日  No.76 憲法学者・早大教授・水島朝穂さん
 2013年05月27日  NO.75 フォトジャーナリスト・豊田直巳さん
 2013年04月22日  NO.74 日本画家・堀文子さん
 2013年03月25日  NO.73 仏在住の平和活動家・美帆シボさん
 2013年02月25日  NO.72 エッセイスト・海老名香葉子さん
 2013年01月28日  NO.71 環境ジャーナリスト、アイリーン・美緒子・スミスさん
 2012年12月10日  NO.70 作家・精神科医、なだいなださん
 2012年11月26日  NO.69 作家・評論家、保阪正康さん
 2012年10月29日  NO.68 神戸大大学院教授、ロニー・アレキサンダーさん
 2012年09月24日  NO.67 作家・落合恵子さん
 2012年08月27日  NO.66 俳優・松島トモ子さん
 2012年07月23日  NO.65 長崎大学核兵器廃絶研究センター長・梅林宏道さん
 2012年06月25日  NO.64 佐野浅夫さん
 2012年05月28日 NO.63   「九条の会」事務局長/東大大学院教授 小森陽一さん
 2012年04月24日  NO.62 「グローバルヒバクシャ研究会」共同代表・竹峰誠一郎さん
 2012年3月26日  NO.61 哲学者・東大大学院教授、高橋哲哉さん
 2012年2月27日  NO.60 東京大空襲を記録する映像プロデューサー、早乙女愛さん
 2012年1月30日  NO.59 日本文学研究者、ドナルド・キーンさん
 2011年12月19日  NO.58 ノーベル賞物理学者・益川敏英さん
 2011年11月28日  NO.57 ピースボート共同代表・川崎哲さん
 2011年10月31日  NO.56 韓国・世宗大教授、朴裕河さん
 2011年9月26日  NO.55 医師・ICBUW運営委員、振津かつみさん
 2011年8月29日  NO.54 漫画家・ちばてつやさん
 2011年7月25日  NO.53 作家・長崎原爆資料館長、青来有一さん
 2011年6月27日  NO.52 俳優・三國連太郎さん
 2011年5月30日  NO.51 画家・装丁家・作家、司修さん
 2011年4月18日  NO.50 全国空襲被害者連絡協議会・共同代表、弁護士の中山武敏さん
 2011年2月21日  NO.49 詩人、アーサー・ビナードさん
 2011年1月24日  NO.48 作家・精神科医、加賀乙彦さん
 2010年12月20日 NO.47 アフガン支援活動の「ペシャワール会」現地代表・中村哲さん
 2010年11月29日 NO.46 国際政治学者・東大大学院教授、藤原帰一さん
 2010年10月25日 NO.45 漫画家・水木しげるさん
 2010年9月27日 NO.44 核戦争防止国際医師会議日本支部長・碓井静照さん
 2010年8月30日 NO.43 作家・日本ペンクラブ会長、阿刀田高さん
 2010年7月26日 NO.42 詩人・女性史研究家、堀場清子さん
 2010年6月28日 NO.41 女優・吉永小百合さん
 2010年5月31日 NO.40 三重大教授、元国際平和研究学会事務局長・児玉克哉さん
 2010年4月26日 NO.39 児童文学作家・松谷みよ子さん
 2010年3月29日 NO.38 元国連事務次長・明石康さん
 2010年2月22日 NO.37 東京大空襲を語り継ぐ作家・早乙女勝元さん
 2010年1月25日 NO.36 イラストレーター・黒田征太郎さん
 2009年12月21日 NO.35 作家・林京子さん
 2009年11月30日 NO.34 政治学者、東大大学院教授・姜尚中さん
 2009年10月26日 NO.33 俳優・小沢昭一さん
 2009年9月28日 NO.32 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表・森滝春子さん
 2009年8月24日 NO.31 神戸女学院大教授・内田樹さん
 2009年7月27日 NO.30 作家・脚本家、早坂暁さん
 2009年6月29日 NO.29 日本軍縮学会会長・大阪女学院大学大学院教授、黒澤満さん
 2009年5月25日 NO.28 医師・作家、鎌田實さん
 2009年4月27日 NO.27 コスタリカ研究家・足立力也さん
 2009年3月16日 NO.26 東大名誉教授(憲法研究者)奥平康弘さん
 2009年2月23日 NO.25 ノンフィクションライター・関千枝子さん
 2009年1月26日 NO.24 女優・森光子さん
 2008年12月22日 NO.23 戦没画学生慰霊美術館「無言館」館主・窪島誠一郎さん
 2008年11月17日 NO.22 弁護士、さわやか福祉財団理事長・堀田力さん
 2008年10月20日 NO.21 作家・ジャーナリスト、辺見庸さん
 2008年9月29日 NO.20 ジャーナリスト・前参議院議員、田英夫さん
 2008年8月25日 NO.19 作家・放送タレント、永六輔さん
 2008年7月28日 NO.18 政治学者、ダグラス・ラミスさん
 2008年6月30日 NO.17 俳人・金子兜太さん
 2008年5月26日 NO.16 作家・半藤一利さん
 2008年4月28日 NO.15 哲学者・梅原猛さん
 2008年3月31日 NO.14 児童文学作家・高木敏子さん
 2008年2月25日 NO.13 作家、画家 米谷ふみ子さん
 2008年2月4日 NO.12 小説家、劇作家 井上ひさしさん
 2007年11月26日 NO.11 平和学者、ヨハン・ガルトゥングさん
 2007年10月29日 NO.10 聖路加国際病院理事長・日野原重明さん
 2007年9月3日 NO.9 ジャーナリスト・むのたけじさん
 2007年8月6日 NO.8 広島平和文化センター理事長、スティーブン・リーパーさん
 2007年6月25日 NO.7 作家・瀬戸内寂聴さん
 2007年5月28日 NO.6 映画監督・脚本家、新藤兼人さん
 2007年4月23日 NO.5 立命館大国際平和ミュージアム館長・安斎育郎さん
 2007年3月28日 NO.4-3 ノンフィクション作家・澤地久枝さん/下 人類の答え「平和憲法」
 2007年3月21日 NO.4-2 ノンフィクション作家・澤地久枝さん/中 地方ほど感度が鋭い
 2007年3月14日 NO.4-1 ノンフィクション作家・澤地久枝さん/上 軍事に向かう「防衛省」
 2007年3月7日 NO.3-3 前広島市長・平岡敬さん/下 言論テロ、鈍い反応
 2007年2月28日 NO.3-2 前広島市長・平岡敬さん/中 「地球市民」の感覚を
 2007年2月21日 NO.3-1 前広島市長・平岡敬さん/上 「平和主義」の成功示せ
 2007年2月14日 NO.2-3 物理学者・小沼通二さん/下 核の傘から出る覚悟を
 2007年2月7日 NO.2-2 物理学者・小沼通二さん/中 外交努力で安全保障を
 2007年1月31日 NO.2-1 物理学者・小沼通二さん/上 核兵器は「絶対悪」
 2007年1月24日 NO.1-3 哲学者・鶴見俊輔さん/下 今、祖母力の復活を
 2007年1月17日 NO.1-2 哲学者・鶴見俊輔さん/中 1905年境に変わった精神
 2007年1月10日 NO.1-1 哲学者・鶴見俊輔さん/上 原爆の教訓を世界へ


?、「平和を考える」 アーカイブ 毎日新聞(大阪版) (2007年4月?毎週水曜日)

 庶民の目線からたどった貴重な体験談です。


?、折々の反戦平和アピール

   2012年 100歳の私の証 あるがまゝ行く (朝日新聞 2012.1.14.)
  「日野原新世紀」に向けて.1
  聖路加国際病院理事長 日野原重明さん.2

  年の初めに考える  聖路加国際病院理事長 日野原重明さん
「99歳・私の証 あるがまゝ行く」
   
   「憲法9条を守る運動」 聖路加国際病院理事長 日野原重明さん

   
  年の初めに考える  聖路加国際病院理事長 日野原重明さん
 2011年が始まりました。今年最初のこの欄で私は、
日米安保条約の中で日本がどう平和運動を実現していくかを、
年頭の課題として取り上げたいと思います。
 私は昨年秋、「新老人の会」のメキシコ支部を訪問しました。
会は、私が繰り返し主張している世界平和の推進が目的です。
 日本は1941年にハワイの真珠湾を宣戦布告無しに攻撃し、
戦果を挙げました。
しかし、その後の戦闘で、第1次世界大戦で得たマーシャル諸島を
米国に奪われ、沖縄戦も玉砕、最後に広島、長崎への原爆攻撃を受け、
無条件降伏となりました。
 その後、日本の議会は平和憲法を承認しましたが、
米軍の強い意志で安保条約が締結され、沖縄に米軍基地が設けられました。
50年後に米軍基地は撤退し、米軍が住民に払う補償は、
日本が肩代わりするという密約が当時交わされたとされます。
 しかし現状では、普天間基地の問題に代表されるように、
米軍に従属する関係が固定されています。
これから先、日本の国民は、憲法9条維持の下でいかなる安全保障政策が
可能かを考えないといけません。
 欧州を見てみましょう。冷戦終結とともに、それまでの欧州共同体を母体に、
新しい安全保障のための組織、欧州連合(EU)が作られました。
 EUは最近、経済危機に直面しましたが、そこでまず削減したのが軍事費です。
イギリス、フランス、イタリアなどが軍事予算を大幅に減らす計画です。
スウエーデンも昨年、100年以上続いた徴兵制度を廃止し、
ドイツも徴兵制度全廃を宣言しました。
ドイツでは、米軍基地が明らかに減らされています。これらは間違いなく、
EUという共通の安全保障による「平和の配当」と言えましょう。
 日本とアメリカも、日米安保条約制定60年後の2020年には、
平和共同体としての関係になっているべきです。
そうすれば、これまでも述べてきた通り、嘉手納や普天間の米軍基地は日本に返還され、
その土地は民間に解放され、沖縄が日本の楽園となることが期待できます。
そして日本は憲法9条を保持し、それが不戦への第一歩を踏み出すことになるでしょう。
        ( 聖路加国際病院理事長)
(朝日新聞 2011年1月8日(土)版)



「新 宗教者は語る」シリーズ
  臨済宗相国寺派 無碍光院住職 坂口慈航さん
  

「日本に変な風が吹いてきた」
   九条の会の澤地久枝さん
  
 「日本列島に変な風が吹いてきた」。
2010年6月19日、東京・日比谷公会堂で聞かれた九条の会講演会で、作家の澤地久枝さんは、
日本を「大きなモグラたたきのステージ」にたとえて、こう切り出した。
モグラは、たたかれてもたたかれても顔を出す護憲の勢力。
「変な風」とは、憲法改正に積極的だった政治の風向きが変わってきたことを、あえてそう表現した。
 九条の会は2004年、澤地さんを含む9人の呼びかけ人で発足した。
地域や職場ごとにだくさんの小グループが生まれ、憲法9条を守る学習会などに取り組んできた。
その数は、今年4月の時点で7507を数える。
「最初のモグラは9人だったのが、今は全国で無数に増えた。
権力の側がハンマーでいくらだたいても、もうつぶされないところまで6年かけて来た」
 9人の呼びかけ人のうち、小田実、加藤周一両氏に続いて、井上ひさし氏が4月に亡くなった。
澤地さんは「井上さんは、(最後の戯曲となった)『組曲虐殺』で、後に続く者を信じて走れ、と書いた。
志を継いで、少しはちゃんと生きていきますと、約束したい」としのんだ。
 (2010年6月28日、朝日新聞記事の紹介)

9条は日本人多くの願い
   阿刀田 高(あとうだ たかし)さん
  
     いま声をあげることが大事

  阿刀田 高さん
     作家・日本ペンクラブ会長

  1935年東京生れ。国立国会図書館に勤務。
Oフ年、日本ペンクラブ会長に就任。
79年『来訪者』で日本推理作家協会賞、短編集『ナポレオン狂』で直木賃、
95年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞。
近著に『影まつり』『新装版 猫の事件』

 【革新懇インタビュー】

  「悲惨だった長岡空襲」

ーーことし9月、国際ペンクラブ大会が東京で開かれ、
「環境と文学」をテーマに講演やシンポジウムがおこなわれますね。

 環境問題を考えるとき、戦争の問題も欠かせない一つの視点だと思います。
環境破壊の最たるものは戦争です。
 終戦の年、私は小学校5年生でした。新潟県の長岡に住み、
空襲を目の当たりにしました。
市の4分の3が壊滅し死体がゴロゴロ転がっていた。悲惨でした。
 広島や長崎、沖縄、いろんな戦地でおこなわれた残虐な行為を、
自分が目の当たりにした空襲の延長線上に見ることができます。

 ―ーこれまでイラクヘの自衛隊派兵反対、国民中心の新しい政治、核兵器廃絶など
全国革新懇のアピールに賛同。
日本国憲法に触れた随想「青い空の心で平和を愛したい」(本紙07年10月号)も
平和への思いあふれるものでした。

 日本国憲法の前文や9条は、あれだけの人間を殺す戦争を体験した日本人の多くが
「もう人を殺すのは嫌だ。自分や大勢の仲間たちが死んでいくのは嫌だ」と
訴えたことが実現されたのだと思います。
私も当時、「戦争はやるべきではない。
兄弟や近所の人やみんなが仲良く平和に暮らしていることが素晴らしい」と直感しました。
 これからの日本を支えていく若い人たちには、(憲法の平和理念を)私たちが
けっしてかりそめに訴えたことではないと知ってほしい。
我らの世代はその願いをひたすら訴えることが肝要だと思います。
ある種の合理主義や計算で軽々に排除してほしくないですね。

  「米軍基地と安保条約」

 ーー沖縄の米軍基地が国政の焦眉の課題です。

 戦争でさんざんひどい目にあった沖縄に集中的に基地を置いて負担をかけることは、
信条や思想を超えて、また常識的にも不当です。
日本国民として考えねばならないと思います。
 米軍基地の問題の前には(日米)安保条約があります。
憲法の平和理念を考えて適切でない条約であることは間違いない。
憲法に近づく方向にしていかねばならないですね。
 戦争に関わることを極力排除し、平和都市であることを世界に宣言する都市は増えています。
軍備を放棄する国もある。その考えの原点には日本があり、9条が一つの理想となって
心ある人々を鼓舞している気がします。
 軍備も持たず、どこかに攻められたらどうするのかとの問いには、
「そのときは死ぬんです」というのが私の答えです。
馬鹿なことと言われるかもしれない。
でも軍国少年であった子どものとき、天皇陛下のために俺は死ぬんだと思った。
(同じ死ならば)よくわからない目的のために死ぬより、とことん平和を守り、
攻撃を受けて死ぬ方がまだ無駄じゃない。まる腰で死ぬんです。
個人のモラルとしてなら、人を殺すくらいなら自分が死ぬ、は ありうるでしょ。
 突き詰めれば死の覚悟を持って平和を守る、命を懸けるということです。
そうである以上、中途半端に銃器なんか持っていない方がいいですね。
死ぬのは嫌だから、外交などいろんな努力は全部やる。やり尽くすべきだと思います。

  「経済優先とは別の社会を」

 ー一日本が今後、めざす方向は。

 戦後、経済優先でお金が尊く、「物質的に豊かであることが一番」という
アメリカ的価値観に日本は染まり過ぎた。
そのひずみが出ている気がします。
 経済優先とは別の、平和で弱い人をいたわり、助け合いながら安全に暮らしていく
というような幸福の哲学を持てば、十分にやっていけると思います。
 市民の運動もそういう理念を持って一生懸命行動し、心ある行政を動かしているのだと思います。
革新墾も継続してよくやっていますね。人々の心が動くと行政も動く。
自民党政権とは別の政権が誕生し、国民がものを言えばある程度反映される機運が出てきました。
いま、国民の側から声をあげることが大事です。
                             聞き手 阿部悦子
 (「全国革新懇ニュース」(318) 2010.4月号より抜粋)


「核を持つな」
  瀬戸内 寂聴さん
  日本政府は世界に発信を

 【革新懇インタビュー】(全国革新懇ニュース 310号 2009.6.10. 紹介)

 ーーーオバマ米大統領の核兵器廃絶演説についての感想はいかがですか。

 黒人の大統領が誕生したこと自体、すでに非常にいいことでしたが、
原爆を日本に落とした責任を初めてアメリカの大統領の口から言った。すごいことです。
 これまで原爆を持っている国が北朝鮮などに「原爆をつくるな」と言ってきました。
けれど自分たちが原爆を持ちながら、持たない国に「つくるな」と言っても相手はきかない。
まず自分たちが話し合い、持っている原爆を全部なくさなければね。

 ???日本政府は依然として「核抑止」の立場です。

 それはおかしいですよ。
世界に向かって、「核を持つな」ときっぱり言えるのは唯一原爆の被害国の日本だけです。
日本は原爆を持っていないし、被爆国は日本だけです。

 ?―‐「核兵器なくせ」の世論を強めるときですね。

 そうです。チャンスです。学校の教育でもしっかり教えるべきですね。

   《アメリカの属国》

 ー??日本政府はソマリア沖に自衛隊を出勤させ、戦後初めて海外の人を殺傷する危険が高まっています。

 私は自衛隊は絶対、外に行くべきではないと思います。
自衛隊は国の中だけにいるもので、外へ出ることはもう軍隊です。
アメリカの属国になっているから、こういうことが起きる。
イラクに出動したのも間違っていると思います。
 戦後、日本は戦争をしていません。やはり憲法があるからでしょうね。
 アメリカの命令を聞いて、基地がたくさんつくられたけれど、それも安保改定などのたびにみんなが反対して、少しずつ取り返している。
根本では安保がなくなってないから、政府にはアメリカの言うことを聞かなければならない弱みがあるのでしょうね。
 その弱腰はもう国民みんながいやだと思っているのだから、政府はもっと国民の声を聞くべきです。

   《戦争で被害を受ける庶民》

 ーーー湾岸戦争直後(一九九一年)、イラクの被災者に医薬品を届けるために現地を訪問されましたね。

 私は戦争の経験があります。大本営発表で「勝ってる」といわれ、提灯行列もしたけれど、すでにその時負けていた。
だから私は報道に対して疑い深いんです。
湾岸戦争のときも多国籍軍の報道しかなかった。疑問に思い、現地に行きました。
 バクダッドは駅や郵便局、電話局、水道など庶民に大事な所がアメリカの空爆で破壊され、生活できない状態でした。
「誤爆なんて、うそだ」と思いました。的確に狙った所へ落としています。
戦争で被害を受けるのはいつも庶民です。

 ーーー太平洋戦争末期は北京に在住されていた。

 そのころ、日本人への配給は真っ白のお米で、何でも上等なものがきました。
中国人はコーリャンとか、悪いメリケン粉とか、それはもうはっきりしてました。
かわいそうでしたね。

   《みんなが幸せに》

 ー‐?後期高齢者医療制度を批判されています。

 病院に行くと、診断書に「後期高齢者」と、スタンプが押されていて、びっくりしました。
そういう差別、区別はいやですね。
 長く生きた人は本当に困っているんですよ。
「若い人の迷惑になってる」と考えたり、悪化してから病院に行っている。
そういう痛みが政治家にはわからない。想像力がないことは愛情がないということです。

 ―ー?新潟・中越地震被災者に義援金を送る活動などもされています。

 天台宗の開祖、最澄の教えに「忘己利他」があります。
自分の利益や都合は置いておいて、自分よりも苦しんでいる他者が幸せになるために助けてあげましょうという言葉です。
 憲法にも人権と書かれている通り、私たちは幸せになるために生まれてきました。
けれども自分だけが幸せで、周りに困っている不幸な人がいて、いい気持ちになれますか。
みんなが同じように食べられて、子どもは学ぶことができる、老人はちゃんと医者の手当てが受けられる、
そういう状態になってこそ本当の幸せだと思います。

 ー??私たちも「国民が主人公」の新しい政治をと運動しています。

 いいことですよ。がんばってください。



伊勢崎賢治さん  (2009年5月2日付 朝日新聞記事の紹介)
   憲法9条は日本人にはもったいない
「最大の違憲」ソマリア沖への自衛隊派遣に、なぜ猛反対しない?

伊勢崎賢治さん(51)
 57年生まれ。早稲田大大学院理工学研究科修士課程修了。
インド留学後、国際NGOに加わりアフリカで活動。
東ティモール、シエラレオネの国連PKOで紛争処理や武装解除を担当。
アフガニスタンで日本政府特別顧問として武装解除を指揮。
現在は東京外国語大教授。著書に「自衛隊の国際貢献は憲法九条で」
 「さよなら紛争」など。

 東ティモール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮した「紛争屋」
「武装解除人」の伊勢崎賢治さんは「今の日本人には憲法9条はもったいない」と言う。
ソマリア沖への自衛隊派遣は「戦後最大の違憲派兵」なのに、ろくな反対運動も起きないからというのが理由だ。憲法記念日を前に話を聞いた。
                (聞き手 編集委員・刀祢館正明)

 ーーソマリア沖への海上自衛隊の派遣は、これまでと異なり、日本に関係のある船舶を海賊から守るためとされています。
内閣府の世論調査では63%が賛成しています。

  「国連の平和維持活動(PKO)への参加もイラクヘの陸上自衛.隊の派遣も、日本政府は「国際貢献」や「イラクの復興支援」を掲げました。
良しあしの議論はさておき一応は「世界益」です。
しかし今回は首相の国会答弁をはじめ、もろに「国益」が出てきた。
こんな状態は戦後初めてた。こんな状態は戦後初めてです。
日本はついに、国益を掲げて自衛隊を海外に出すようになってしまいました」

 ーー国益を守るためなら構わないのでは、という人は多いのでは。

  「いやいや、これは明白な憲法違反です。
現行憲法が生まれた背景には第2次世界大戦への反省があります。
日本人は新憲法を受け入れると同時に、強大な軍事力は持たない、軍隊を外に出さないと守れないような国益は求めないと誓ったはず。
これは憲法9条の根幹です」
  「ぼくはイラク派遣はもちろん、インド洋沖の給油活動も違憲だと考えます。
ただし、実質的には戦争への協力ですが一応は『世界益』を装っている。
ソマリア派遣に比べればまだましだと思うようになりました」 (苦笑)

 ―一一般からだけでなく、護憲派からも、ソマリア派遣に大きな反対が出ているようには見えません。
  「最も激しい反対運動が起きると思ったのですが、当の護憲派が反応しない。
だから『9条はもったいない』とコラムに書きました」
  「彼らは9条を変えさせないため、長い間ふんばってきた。
自衛隊を海外に出してはいけない、国連PKOへの参加もだめだと主張してきました。
ぼくはPKOを『世界益』ととらえますが、彼らの批判精神は評価したい。
でも今回の、9条の根幹に挑戦する国益を掲げた海外派兵に、彼らの批判精神が反応しません。
日本人を助けるためだったらしようがないと考えるのだったら、もう護憲運動は崩壊してしまいます。
ぼくは護憲派です。『敗北宣言』をしようとさえ考えました」

 ーー自衛隊では海賊から守れないということですか。

  「そうです。自衛隊が海外で日本関係船舶の護衛をすることは間違い。
憲法上、軍事力で国外の日本人の生命・財産を守ることは出来ません」
  「自衛隊に対する海外の認識は軍隊です。軍隊と警察は別の組織。代わりは務まりま せん。
今はソマリア沖に各国の軍艦が集まって海賊対策をしていますが、本来は沿岸警備の問題です。
ソマリアの現状はまったくの例外です」

 ーーでは、現実の危険を前に、日本はどうすればいいのでしょう。

  「ソマリア沖を避けて、遠回りの航路を選ぶことです。
アフリカ南端のケープタウンを通じた周辺国の警察力、沿岸警備力の強化があります。
日本は、マラッカ海峡ではアジア諸国と協力しリーダー格です。
海賊情報の交換も進んでおり、国際的に高く評価されています。
これは日本のお家芸です。なぜ、アフリカでも同じことが出来ないのでしょう」

 ーー憲法改正のための手続きを定めた国民投票法の施行まで1年余です。
改憲の動きがまた出てくるでしょうか。


  「『九条の会』など護憲の集まりに呼ばれて話すのが、
『ぼくは基本的に護憲派を含む日本人を信用していません』ということです。
小泉さんみたいなセクシーな首相が現れて改憲を訴えたら、世論はそちらに動くでしょう。油断は出来ない、と言っています」

 ーー紛争処理の現場からは、憲法と自衛隊はどう見えますか。

  「9条の下で自衛隊が出来ることはたくさんあります。
冷戦後、内戦や紛争は増加しています。
ルワンダの虐殺でわかるように、人を殺させないための平和介入には武力行使が必要な時があります。
これは否定できません。武力は数ある平和介入の選択肢の一つに過ぎません」

 ーーほかには何が?

  「敵対勢力聞の信頼醸成のための軍事監視団です」

 ーー外交官や非政府組織(NGO)では。

  「出来ません。軍人だからこそ意味がある」

 ーー何か違うのですか。

  「相手も軍事組織です。
そこに中立な立場の軍人が、非武装で立ち向かうことが重みを持つ。
彼らから見れば軍人は武装して当たり前。それが丸腰。だから説得力があります。
どの国から派遣されているかも重要です。
日本が持つ中立的なイメージのおかけで、軍事監視は自衛隊のお家芸になるはずです」
 ーー非武装の軍人に積極的な意味があるわけですね。
  「そうです。でも一部の護憲派、特に年配の人たちは理解してくれません。
彼らは自衛隊を否定すること、海外に出さないことが悲願です。
なのに今回、日本人を救うためなら反対しない人がいる。これにぼくは怒っています」

 ーー日本さえ平和ならいい、というわけですね。

  「護憲派の中でも、憲法の前文が忘れられているのではないでしょうか。
読めば一国平和主義ではいけないとわかる。
でも彼らは前文はどうでもよくて、9条が目的化している。
前文と9条の間にすき間を見つけ、そこを突いて対テロ戦に持ち込んだのが小泉元首相です。
我々は前文と9条をつなぐ努力をしないといけません」
  「9条は道具です。外交の道具にも、自分たちを守る遣具にもなります。
現行憲法は9条を使って前文の理念を実行しなさいと言っている。
ぼくは今まで紛争処理の現場で、日本人であることで大変得をしてきました。
日本は経済大国だが侵略はしないという安心感。広島、長崎に代表される、被害者の立場に立ってものを考えられるまれな大国。
アメリカとは違う、自主性のある国。
これは『美しさ誤解』かもしれません。でも大事にしたい」

取材を終えて
 目力のある人だ。
平和から遠い土地で、軍や武装集団を前に命をさらして戦ってきたことがうかがえる。
 その男が世論の大勢にケンカを売っている。
「このくらい言わないと今の日本人は目が覚めませんから」
 このケンカ、あなたは買うか買わないか。
平和であり続けることも覚悟がいるのだと、あらためて知った。

【解説資料】  ソマリア沖派遣

 ソマリア沖で昨年起きた海賊事件は111件。
日本関係の船舶は年に約2千隻が通り、3隻が被害にあった。
 海上自衛隊の護衛艦「さざなみ」と「さみだれ」の2艦が3月14日に広島を出港
=写真=、現地で海賊対策に携わっている。
海自のホームページによると4月30目までに12回、護衛活動を行った。
 政府は自衛隊法82条に基づく海上警備行動として派遣した。
国会で審議中の海賊対処法案が成立した後は、こちらに切り替える。
 海上警備行動では相手に危害を与える可能性のある「危害射撃」は正当防衛と緊急避難に限られるが、
対処法では「任務遂行のための武器使用」が出来るようになる。
 麻生首相は海自派遣について4月14日の本会議で日本の国益を脅かす死活的な問題」と答弁している。


  「60歳の憲法と私」
辻井 喬さん

  経済繁栄 平和でこそ   (朝日新聞記事の紹介)

   辻井喬さん 詩人・作家 つじい・たかし 81歳。本名・堤清二。
   西武百貨店などでつくるセゾングループの元代表。日本文芸家協会副理事長。
   詩集 「鷲がいて」、随筆集「新祖国論」などの著作がある。


   経済繁栄 平和でこそ

 吉田茂元首相は、連合国軍総司令部(GHQ)の憲法草案のメモを見て、「戦力の不保持」にひざを打って喜んだと聞く。
吉田さん自身は何とか軍隊を持たずに済ませたいと考えていた。敗戦国が軍隊を持ったところで米軍にあごで使われるだけだし、財政的な余裕もないと。
吉田さんにすれば「経済再建を優先させたい日本の主張を、わざわざ先方から切り出してくれた」という思いだった。
 そんな秘話を、吉田さんの懐刀だった白洲次郎さんから銀座のバーで酒を飲みながら聞いた。
 憲法が出来た時、ぼくは大学生。法案を一読して「自由になる。ありがたいなあ」と思った。
いずれ民法も変わって、父親に意見が出来るようになるだろうと。
何しろ、明治憲法下では、家長の命令は絶対で、その頂点に天皇陛下がいたから。
 日本は勤勉な労働と優れた技術に支えられた「通商国家」。
経済人として言えることは、その繁栄は平和が維持されてこそ持続できるということだ。
平和憲法の恩恵を最も受けてきた経済界からの改憲論には疑問を感じる。
 「国際社会で名誉ある地位を得たいから、強力な軍隊を持つ」というのは愚かで危険な発想だ。
「武力を行使せずにやっていける国がある」と平和憲法の価値を世界に示すことこそ、
日本のなしうる最大の国際貢献だ。
 憲法の主権在民と平和主義という二つの大きな柱は危うくしてはならない。
でも、その上でなら、九条も含めて改正すべきだと思う。
 前文は翻訳調で日本語として美しくないし、「てにをは」の誤りもある。
9条にも「核武装をしない」「海外派兵をしない」「徴兵制を敷かない」という3点を明記した方がいい。
 ただし、憲法はたんに数の論理で変えるべきではない。
議論を深める中で国民的コンセンサスが形成されることが改正の前提だ。
  (朝日新聞 2008(平成20)年5月3日(土)


「60歳の憲法と私」
半藤利一さん

  国民の冷静さ保つ機軸   (朝日新聞記事の紹介)

   半藤一利さん  作家 はんどう・かずとし 77歳。元「文芸春秋」編集長。
   昭和史を題材にした作品が多く、『ノモンハンの夏』 『日本国憲法の二〇〇日』
   『昭和史』2部作などの著書がある。


   国民の冷静さ保つ機軸

 当時、17歳の私は平和憲法の理念にはただただ感動した。
父は「お前はバカか。人類の歴史で、戦争がなかった時代がどこにある」と冷めていたけど。
でも、60年以上日本は戦争で一人も殺さず一人も死なずに済んでいる。
 日本は負けない」と信じていたものが、敗戦であっけなく壊れた。
「絶対」という言葉は二度と使うまいと誓った。平和も決して絶対ではないが、60年の実績は何ものにも代えがたい。
 戦後の記録をひもとくと、当時の政治家にとって、平和憲法は天皇制を残すために受け入れたいわぱ取引だった。
しかし、連合国軍総司令部(GHQ)は草案を発表して、国民の信を問うてもいいとまで言っていた。
 歴史に「もし」は禁物だが、悲惨な状態で降伏し、平和のありがたみを身にしみていた日本人の多くは、GHQ案に賛同したのではないか。

 「押しつけだ」と言うなら、占領時代はすべてが押しつけだった。農地解放も、財閥解体も。
日本の歴史や地理をしっかり教えなくなった教育改革など良くない政策もあったが、多くが戦後の日本の原動力になったことは間違いない。
 戦前から「天皇は神様」とは思っていなかったが、「国の象徴」という言葉に最初は違和感があった。
でも今の天皇は「象徴とは何か」を考え、本当によくやっていると思う。中国を公式訪問し、沖縄、サイパンなど国内外への慰霊の旅へも出た。
何も語らなくても「日本はアジアの平和を望んでいる」という姿勢を示し、政治家の軽挙妄動を打ち消してくれた。
 幕末のペリー来航以来、日本人の心の底には、「異国を追い払え」という攘夷の思想がある。中国が大国になった今、その思想が再び頭をもたげてきている。
 05年の「郵政選挙」を見ても、あの戦争を引き起こした「集団催眠」にかかりやすい日本人の体質は、本質的に変わっちゃいない。
そんな時こそ熱狂せずに、冷静に理性的に進めないと。そのための機軸として、平和憲法を残していくべきだと思う。
  (朝日新聞 2008(平成20)年4月20日(日)


「ノーベル賞講演 語った戦争体験」
益川敏英さん

  益川氏、気骨の反戦   (朝日新聞記事の紹介)
   「9条危機なら研究より運動」


 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(68)は昨年12月にストックホルムで臨んだ
受賞講演で自らの戦争体験に触れた。
そこに込めた益川さんの思いが知りたくて、戦争とともに始まった半生を聞いた。
   (武田肇)

 受賞講演では「自国が引き起こした無謀で悲惨な戦争」という表現で太平洋戦争に言及した。
開戦前年の1940年生まれ。父は当時家具職人。5歳のとき名古屋空襲に被災した。

「焼夷(しょうい)弾が自宅の瓦屋根を突き破って、地面にごろりと転がる。
家財道具を積んだリヤカーに乗せられ、おやじやお袋と逃げまどう。
そんな場面を断片的に覚えている。焼夷弾は不発で、近所でうちだけが焼けなかった。
あとから思い返して、発火していれば死んでいたか、大やけどを負っていたと恐怖がわいた。
こんな経験は子や孫に絶対させたくない。
戦争体験はぼくの人生の一部であり、講演では自然と言葉が出た。」

 敗戦翌年に国民学校(小学校)入学。校舎は旧日本軍の兵舎跡。銭湯の行き帰り、父から天体や電気の話を聞かされ、理科や数学が得意と思い込んだ。

「祖父母は戦前、植民地下の朝鮮で豊かな暮らしをしていた。
高校生のころ、小学生だった妹が母に、朝鮮での暮らしぶりをうれしそうに尋ねるのをみて、
ぼくは『そんなの侵略じゃないか』と怒鳴ったことがあったそうだ。
戦争につながるもので利益を得るのは許せないと思っていた。」

 58年春、名古屋大理学部に入学。
日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士の弟子の坂田昌一氏が教授を務める素粒子論教室で学んだ。

「家業の砂糖商を継ぐことを願っていた父に、1回だけの条件で受験を許してもらった。
その坂田先生は『素粒子論の研究も平和運動も同じレベルで大事だ』と語り、反核平和運動に熱心に取り組んでいた。
科学そのものは中立でも、物理学の支えなしに核兵器開発ができないように、政治が悪ければ研究成果は人々を殺傷することに利用される。
『科学的な成果は平和に貢献しなければならず、原水爆はあるべきでない』と熱っぽく語られた。
私たち学生も全国の科学者に反核を訴える声明文や手紙を出すお手伝いをした。」

 67年、名古屋大理学部助手に。大学職員の妻明子さんと結婚した。
学生運動全盛の時代。ベトナム反戦デモに参加したり、市民集会に講師として派遣されたりした。

「とにかく戦争で殺されるのも殺す側になるのも嫌だという思いだった。
ぼくのやるべき仕事は物理学や素粒子論の発展で、平和運動の先頭に立って旗振りをすることじゃない。
でも研究者であると同時に一市民であり、運動の末席に身を置きたいと考えていた。」

 作家大江健三郎さんらが設立した「九条の会」に賛同して、05年3月、「『九条の会』のアピールを広げる科学者・研究者の会」が発足すると呼びかけ人になった。

「日本を『戦争のできる国』に戻したい人たちが改憲の動きを強めているのに、ほっとけないでしょ。
いろんな理由をつけて自衛隊がイラクへ派遣されたが、海外協力は自衛隊でなくてもできるはず。
まだおしりに火がついている状態とは思わないが、本当に9条が危ないという政治状況になれば軸足を研究から運動の方に移す。」

 ノーベル賞授賞式から約1カ月後、黒人初のオバマ米大統領が誕生した。

「ぼくは物理屋でいるときは悲観論者だが、人間の歴史については楽観的。
人間はとんでもない過ちを犯すが、最後は理性的で100年単位で見れば進歩してきたと信じている。
その原動力は、いま起きている不都合なこと、悪いことをみんなで認識しあうことだ。
いまの米国がそう。黒人差別が当然とされてきた国で、黒人のオバマ大統領が誕生するなんて誰が信じただろう。
能天気だと言われるかもしれないが、戦争だってあと200年くらいでなくせる。」
   2009年2月1日(日) 朝日新聞大阪本社版

益川教授講演 「改憲は自由に兵器使うため」 9条に思い(朝日新聞記事の紹介)
   「物理屋思考」で改憲派分析

 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大教授(69)が8日、東京都千代田区の明治大で講演した。
自身も呼びかけ人をつとめる「九条科学者の会」の発足4周年記念の一環。ユーモアを交えながら平和への思いを語った。

 益川教授は「改憲派は、なぜ憲法を変えたがるのか」という問いを何度も投げかけた。
「ぼくは物理屋。因果律で考える癖がある。『なぜ』と。
彼らは条文に不備があるからと言っているが、解釈改憲で自衛隊がソマリアまで行く時代。条文不備のせいじゃない。
9条があったのでは出来ないことをやりたいからに違いない。つまり自由に兵器を使うということです」

 幼いころ名古屋で空襲に遭った経験を振り返った。名古屋大の先輩の被爆体験を話しながら、感極まって声を詰まらせた。
「私は、子にも孫にもあんな思いはさせたくない。国家が国家の名のもとに始める戦争は嫌です。好きな人はやってください……あ、いや、それも困る」。
ひょうひょうとした口ぶりに、床まで人で埋まった会場は、何度も笑いに包まれた。

 講演は約1時間。戦争は突然起きるわけではないと訴えた益川教授は「最終的には理性の問題です。
一つのかけらを見た時に、人間としてそこから何を想像できるか。
鋭い目を持てば戦争の予兆は見える。と締めくくった。
    (谷津憲郎) 朝日新聞 2009年3月9日


 
「今、平和を語る」 毎日新聞記事から

  毎日新聞(大阪版)2008年8月12日火曜日 コラム「記者の目」

  「死者のいる歴史」学ぼう
                            広岩近広

 8月の公園は、セミ時雨が降り注ぎ、そばの屋外プールでは夏休みの子どもたちの歓声が響きわたっていた。
そこには戦争のない、平和な時間があった。

 といっても、たかだか63年間の平和にすぎない。
私の両親や祖父母は戦争の時代を過ごしている。
そうした世代の、戦争だけはごめんだ、という強い意思表示が日本の平和を支えてきたと思う。

 この世代の識者には多々教えられた。
1年半前から、大阪本社版で「今、平和を語る」と題したインタビューを担当しており、
聞かせていただいた戦時体験とそれゆえの言葉の重みをかみ締めている。

 私は公園の木陰に入り、今一度、鮮明に残っている声を呼び戻した。

 瀬戸内寂聴さん(86)は、徳島大空襲で母と祖父を亡くした。
 「母の背中は材木が焼けたように真っ黒だったと聞きました。
それでも祖父は母が覆いかぶさっていたのでほとんど焼けていなかったそうです」。
続けて寂聴さんは、こう断じた。「残酷で大間違いの戦争でした。
為政者がどんなに美辞麗句を並べても戦争は人を殺すことなのです」

 私は夏空の下で、ひとりうなずいた。そういうことにちがいない。

 「ガラスのうさぎ」の作者、高木敏子さん(75)は東京大空襲などで父母と2人の妹を失った。
「戦争は、決して兵隊同士の殺し合いだけではないのです。
私の両親や妹が一体何をしたというのですか、なぜ殺されなければならなかったのですか。
日本が戦争をしていたからでしょう」

 私の脳裏に赤い炎が広がった。高木さんの声がかぶさり、セミの鳴き声は遠ざかった。
想像の先にある戦争だから、当事者でしかわからない面は否めない。悲痛も恨みも絶望も……。

 米・ロサンゼルス在住の芥川賞作家、米谷(こめたに)ふみ子さん(77)は若者に空襲体験を語るとき、こう言い添える。
「おしっこをちびって、うんちが出るのよ、パンツが汚くなるのよ、でもはきかえられないのよ」

 海軍の呉海兵団に召集された映画監督の新藤兼人さん(96)は、クジ引きによって激戦地へ行くかどうか決められた。
100人の兵隊が次々といなくなり、最後は6人になって終戦を迎える。新藤さんは、こう語るのだった。
 「一人一人は血の通った人間だから、国よりも家族が大事だというのが本心だと思う。
だから死にたくない、しかし玉砕の名の下で死なねばならない。
こうして死んでいった兵隊の気持ちを、いまの若者はわからないだろうね。
だが、戦争の実態は、そういうことなのです」

 俳人の金子兜太(とうた)さん(88)は南方の島で多くの部下を餓死させ、1年4カ月間の捕虜生活を送った。
攻撃を受けて死ぬだけが戦争ではない、と話してくれた。
 「ひどい食料不足になると、死ぬとわかっていても、捨てられたフグに手を出す。
猛然と食らいついては死んでしまう。飢えて死ぬというより、飢えに耐えられなくなって死ぬんです。
そんな餓死者は、やせ衰えて木の葉みたいになっていた。人間の尊厳などありません」

 哲学者の梅原猛さん(83)の次の一言は、決して忘れないだろう。
 「私は、原爆を落とした者と、特攻というおぞましい死の道具を考えた者を許すことができない」

 そんな戦争を、日本はしたのであって、アメリカはさらに戦争を繰り返し、世界では今も紛争が絶えない。
だから「正戦論」が世界の常識になるのだろうか。
攻め込まれたときの対抗手段としての武器は必要で、そのための戦争はやむを得ないとの考え方である。

 津田塾大教授を長く務めた政治学者のダグラス・ラミスさん(71)は米海兵隊の出身だが、そんな「正戦論」を喝破した。
「軍事力が最も強かった時代、そして暴力によって国民が殺された数が最も多かった時代は同じです。
強い軍事力を持つほど国民は危ないのです。
正戦論によって大勢の国民が殺されたのは、身近な歴史が証明しています」

 これまでインタビューした18人の方々の問いかけを集成すると、こうなろう。
「歴史が教えているではありませんか。歴史に学んでください」

 戦争を知らない私は、追体験を共有しようと、懸命に想像力をのばした。
だが、それは取っ掛かりにすぎない。歴史は未来への道筋を黙示しているのだ。

 ことに8月は、原爆の日と終戦の日に、お盆が加わる。鎮魂の8月こそ、死者たちのいる歴史に学びたい。




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