残月淡し相模原

                     山口孝(江戸川区)

「残月淡し相模原,鎧の袖に結びけん,鎌倉武士が夢の跡,今咲き競う若桜」軍歌演習の響きがコダマする営内に何か虚ろな気が漂う。
相模湾に米軍の上陸近しの報に,昼夜兼行の三交替制で,防空濠を掘っているが,芋と雑炊 の給与ではもはや限界である。すでに栄養失調患者が出る始末であった。
通信部隊は無線機の外には九九式歩兵銃しか持っていないので攻撃されれば半日と持たないであろう。
硫黄島の失陥以来,B29の爆撃が熾烈になって来た。時折,グラマンやP38が飛んでくるので敵の空母が近海にいるのであろう。
器材庫にもぐり込んで3号甲受信器で,米軍の放送を聞いていると,都市爆撃は予告してくるし,沖縄戦の日本の消耗度は米軍の12倍であるといっている。
「本土決戦要綱」なるものがガリ版で廻ってくる。
「民衆を盾に敵が向って来たら,彼等は悠久の大義に生きる為喜んで死ぬであろうから構わず撃て」と書いてある。同僚のSは,「世も末じゃのう」と独り言をいって立ち去った。
入隊の時,@学問のすすめA物理学は如何にして作られたかBドイツ戦没学生の手記の3冊を持ち込んで,坐学の時コッソリ読んだ。
初めの頃は@Aを読んでいたが,次第にBを読む事が多くなった。いずれ最後の手記を書くつもりでいたのだろう。
しかし検閲があるため,女々しい本音は書けず,『皆様お元気ですか,小生は軍務に精勘していますから御休心下さい,ではさようなら』だけである。
軍務とは,「靴みがき,飯上げ,ふんどし洗い」等々の事である。
終戦の放送は軍隊呆けして直ぐには分からなかった。
しかし広島に新型爆弾が投下された時は,遂に原子爆弾が作られたのかと直感した。
地下鉄サリン事件を起した一連のオウム教団の内情が暴かれ,次々と新事実が発覚するにつれ,当時の日本の状況が余りにも酷似しているのに気付く。
すなわち,人問を神格化して雲の上にのし上げ,その直下には,代行者の如く見せかけて,勝手に「八紘一宇」などという教義をデッチ上げ,世界制覇のあらぬ幻想にとりつかれ,出世欲の絡んだ似非俊秀が共同謀議を巡らし,先づ手初めに満州を,そして中国大陸から東南アジア,果ては太平洋に目を奪われて,遂に収拾がつかなくなって破綻した。
その間,反対者は抹殺し,時には正論を吐く者は「ポア」した。子供は教祖様に捧げた者であるから,喜んで差し出すべきであると「1銭5厘」で徴発して戦場に駆り立て,国内では毒ガスや殺人兵器工場に国民を徴用した。
徴兵,納税,教育は国民の三大義務と称して,酷税を課して戦費調達に狂奔し,足らないと強 制的に国債を乱発して御布施を強要した。
一貫して偏向教育を課し,うやうやしく神のお告げの如く白手袋で宣わし,橋の欄干,お寺の鐘や個人の大切な結婚指輸まで供出させ,いよいよ物が無くなると,「欲しがりません,勝つまでは」「賛沢は敵だ」等と国民を窮乏と飢餓に追いやり,一到頭,敗けが込んでくると,自分達は深い防空壕にもぐり込み,市民は「火叩き棒」やバケツリレーで街に縛りつけ,多くの犠牲者を出した。
50年前,日本全土が「オウム教」下にあった。50年前に現実であった事を又蒸し返して愚行を繰り返す,人問の業の深さと,智慧の無さを腹立たしく感ぜざるを得ない。
戦後,ある評論家が,「大茶番劇が終わった」と評したが,茶番劇で多数の真面目な,善良な る市民の一度しかない人生が奪われた事は耐え難い事である。

                                 2004/09/24



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