「日向軍艦旗返還の思い出」

                                       浜万寿生

   日向軍艦旗

 日向は情島の西側に座したまま軍艦旗降下の日がやって来た。
 上甲板に整列して君が代の音も今は静かなうちに降下され、全員情島宿舎に戻り軍艦旗は正面の棚に置かれた。
 私は主計下士官で残務整理員に指命され、日向乗務員の解散、除隊、呉鎮転勤、その他の手続、書類の作成に約1ケ月間を作業して、最後になった方は10名程度となりました。
 その時の上司の方の名前は忘れましたが(それは軍医長でした)、初に、「浜二主曹、この日向軍艦旗だけは決して米軍に渡してはならぬ、よいか、わかったか」と2、3回云われて、私は2、3日すぎて、私の実家が江田島町ヒトノセにありますので、軍艦旗を家にもって帰り、
母に紙に包んで、これだけはたのむ、と云って、情島に再び帰って来ました。  私も数日後呉鎮に帰り、残務整理をすませまして除隊になりました
 その後昭和48年、大君の伯母より軍艦旗があったと云って、私に届けてくれました。
 伯母の話では、私の母が、江田島には米軍がいるので、いつ調べに来るかわからん、と云って、ふとんの中にぬいこんで渡したものらしいです。(母は昭和28年に死亡)
 その後私もよい機会にめぐまれず今日になりましたが、丁度、日向英霊三十三回忌に返還出来たこと、小生はこれ以上の事はありません。
 今日8月15日、英霊よ静かに眠り下さいと戦友の冥福を祈りながら筆を置きます。
                                    合掌




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