「空襲」

                           河野久恵

 1945年7月1日、夜中空襲警報のサイレンに起こされ、寮のみんなが防空壕の中に避難しました。
 今でもその時のこと、目に浮かぶよ様で忘れることはありません。
 しばらくすると、B29の音が聞こえてきて、近くに爆弾が落とされました。
 防空壕の中まで、爆風や砂煙、また、大きな音がして、耳が裂けるような痛さが何度もあり、
 「このままではここで死んでしまう」と、先生が「出ましょう」と云われ、外に出てみると、近くに大きな穴が開いていました。
 爆弾を落とした後だったのです。今思うとぞっとします。
 外は夜中なのに照明弾で、真昼のような明るさだったと思います。
 それぞれに別れ、私は火の中を道路より上の山手に一人で逃げ、焼ける民家の裏庭に池があり、丁度水が入っていたので、その水を体にかけ必死でみんなを探し、どうにか会えることが出来ました。
 防空壕の中にそのままいたら、今では生きていないでしょう。
 多くの犠牲者を出した戦争の怖さ、空襲の怖さ、この歳になっても頭に残っております。
 今思うと生きているのが不思議なぐらいです。
 ただただ平和であり、みんなが幸せである事を祈りたいと思います。


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