「大空寮」

                            西田登喜子

 今日まで戦後60年、早かったような長かったような、自分ながら感動しております。
 高女時代に、何も詳しいことは知らず、学徒動員として、呉に行くと命令を受けたことを先生より聞かされました。
 初めは不安一杯でしたが、思い返し共同生活をするのだと、軽い気持ち国の為と張り切って出て行きました。
 最初は、呉市両城町大空寮という学生寮から呉工場へ行くということで、作業服を与えられ第1日目が、始まりました。
 航空機の部分品、船舶の部分品、木型に詰め、何も分からぬまま一生懸命に、早く慣れようと働きました。
 これが毎日毎日の繰り返しです。
 やがて少しずつみんなも疲労の色が見え始め、仕事が終わって寮に帰るまでは、軍歌其他戦争のイメージソングに励まされ、疲れた体にムチ打って寮につき、風呂、食事をとり休みます。
 朝起きて、作業場に行く、これらの繰り返しです。
 戦火もひどくなり、1日に何回も空襲のサイレンで防空壕に走り込み、敵機が去ったら作業です。
 やがて怪我人も次から次へと出て、病院に運ばれるやら。そのうち遂に原爆落とされ、それぞれの国なり、家庭の方へ帰りました。
 一段落すると、原爆による怪我人が、親戚知人が見分けもつきかねる様子になって帰ってきました。
 それは悲しみで言葉も出ず、本当に頬を使う涙が出るばかりです。頑張ってと言って別れを告げ、次の知人の怪我人のところへ走りました。
 やがて世の中もやや落ち着きを取り戻し、原爆資料館が出来、何度か見学に行きました。その度に涙が出てたまりません。
 本当に戦争は嫌です。一日も早く世界平和のくるこ事をお祈り申しあげたいと思います。


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