「殉国之塔について」

                            横間フキエ

 古くから安芸門徒と申されて居りますように,呉市の南端に警固屋町があります。
 お寺が四ヶ寺ありまして個々に仏教婦人会を結成して居ります。
 当時は親鷲聖人のご誕生目には花まつりや会員物故者の追弔法要等で,年に2,3回は連合で行事をして会員の交流を深めて居りました。
 殉国之塔につきましては,所在地,呉市警固屋1丁目呉清光園老人施設の真向うに当たり,現在は目新製鋼の物置きの倉庫の裏に当たります。当時は空地の広場でございました。
 満行寺仏教婦人会の会員の中に,挺身隊として旧海軍工廠に勤めて居られた娘さんのお母さんが居られました。
 「夢に娘が寒い寒いと云って度々出るので,不思議と思い今の殉国之塔のところに行ってみると,その周辺には、当時遺骨の残骨を寄せ集め埋めて木の目標が立ててあったのが,骨が土より出て雨ざらしになっていた。
 余りの悲しさに敗戦の残念さや,娘達が可哀想でならない。仏教婦人会の皆さん何とか考えて欲しい。」と懇願されました。
 居合わせた仏教婦人会一同も人ごとではなく悲痛な思いで一杯でした。
 それから役員は度々の話し合いの結果,木の目標でなく石で永久に残るようにと話はまとまりました。
 他団体にもお願いし協力を求めました。各寺仏教婦人会の役員は寄付をお願いに歩きました。
 時問はかかりましたが,目標の金額に達し,願い叶つて完成が昭和40年11月でした。
    殉国之塔建立式
 除幕式には,名簿により近辺の遺族の方にはご案内致しましたが,年月も経過致しましたので出席下さる人は僅かでした。
 以後,四ヶ寺仏教婦人会は各仏婦でお参りする人数をきめ,各寺の住職様には交代制で法要を頂くことにしました。
 途中,一寺は住職様の不在により脱退されました。其の後三ヶ寺で平成6年6月22日50回忌を済ませました。
 それを期に永く弔うために,一ヶ寺仏教婦人会で当番制で務めることになりました。
 地味な行事のため殉国之塔を知らぬ人もあります,場所も辺地です。一ヶ寺ずつで寂しいと思って居りましたら,平成12年度より警固屋中学校が平和学習を実習されることになりまして,新生「殉国之塔」慰霊祭と式典を行われました。
 塔の前には記念として「ピ一スモニュメント」を供えられ「殉国の乙女に捧げる歌」を合唱し,一人づつの献花をされ盛大に供養が行われました。
 警固屋中学校では毎年2年生の平和学習として,現在に至って居ります。
 平成13年3月24目,芸予地震に依り殉国之塔が倒壊致しました。当番は法晃寺仏教婦人会です。このままでは法要が出来ないので,三ヶ寺仏教婦人会の役員会を開催し,いろいろ相談の結果,必要経費は三ヶ寺仏教婦人会で割当して修復するしかないとの意見が多うございました。
 ふと,安芸南祖仏教婦人会にダーナーの有ることに気付き,法晃寺住職様にもお伝へし,南祖の会長さんに早速くお電話で依頼致しました。
 「もうすぐ総会だからその席で皆さんと相談してみましょう。」とのご返事でした。希望を持って総会に出席しました。
 議題の中で指名を頂きましたので,明細に事情を説明し皆さんもご理解下さいまして,ダーナーより50,000円の補助を頂き,見事6月22目には再建出来,請負って下さった方も信心深い方で奉仕下さった点も多々あったと思います。
 お陰さまで心配の寄付もなく完成致しました。多くの皆様のご厚意に感謝しながら法晃寺住職様に法要を務めて頂きました。
 今では殉国之塔を知って下さる人,お参り下さる人も多くなりました。きっと各寺の仏教婦人会と共に警固屋中学校2年生の平和学習に依り,後世に伝承して下さることを信じ,多くの皆様のいろいろな思いを偲びつつ、末永く継続されますよう祈念致します。
                             平成17年2月4日
        法晃寺仏教婦人会 呉市警固屋5丁目11-15  横間フキエ

 四ヶ寺仏教婦人会
 警固屋町仏教婦人会連合会
     法正寺仏教婦人会
     満行寺〃
     法晃寺〃
     (一寺は途中脱退)


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