原爆投下計画



原爆投下計画

1938(昭和13年) ドイツでオットーハーンらがウランの核分裂を発見
 39(昭和14年) ルーズペルトに原爆研究を示唆
 40(昭和14年) イギリスで高濃縮ウラン原爆を構想
           アメリカでプルトニウム原爆を構想
 41(昭和16年) 原爆製造計画「マンハッタン・プロジェクト」を本格的に発足
 42(昭和17年) デュポン社を中心にプルトニウム生産を推進
 43(昭和18年) ロスアラモス研究所の創設
 44(昭和19年) アメリカ爆撃機 B-29 完成
   9月18日   原爆対日使用決定
 45(昭和20年)
  4月15日   センターボード作戦(原搬下憾)決定
     27日  第1回原爆投下目標選定委員会会議
          目標地として研究する地域に、東京湾,川崎,横浜,名古屋,大阪,神戸,
          京都,広島,呉,八幡,小倉,下関,山口,熊本,福岡,長崎,佐世保をあげる。
  5月10-11日 第2回原爆投下目標選定委員会会議
          投下目標地として、京都,広島,横浜,小倉,新潟を設定
    12日  京都,広島,横浜,小倉に爆撃禁止命令出る。
    28日  第3回原爆投下目標選定委員会会議
          投下目標地として京都,広島,新潟を検討。
    30日  スチムソン(陸軍長官)京都不承認。
   6月1日  早期、無警告使用を勧告することを決定。
    12日  スチムソン京都反対。
    13日  目標地選定機密報告書作成一ー小倉,広島,新潟を設定。
    14日  原爆計画総責任者グローブスの勧告。
   7月2日  京都を目標に温存したいと要請。
     3日  統合幕僚長会議において、京都,広島,新潟,小倉の爆撃禁止を命令。
    16日  ニューメキシコ州アラモンド砂漢で、人類初の原爆実験成功。
    21日  ハリソンが第一目標を京都と提案するが、スチムソンが反対。
    22日  スチムソンとアーノルドの間で京都に代わって長崎で合意。
    24日  広島,小倉,新潟の爆撃禁止令解除。
    25日  投下命令が下される。広島,小倉,新潟,長崎。
    31日  広島を最優先目標地に決定。
   8月1日  新潟を除外。
     3日  最終命令が下り、攻撃日は8/6。目標地は広島,小倉,長崎に決定。
     6日  広島原爆投下。
     8日  ソ連、日本に宣戦、満州に侵入。
     9日  長崎原爆投下。
    15日  ポツダム宣言受諾終戦。



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