。旧呉海軍工廠 亀ヶ首試射場

古老の証言
亀が首試射場の所在地  略地図

(「島のまち」再発見で「秘密基地の記憶」管信博さん)
試射場と大迫集落/主な性能試験
試射場で行われた主な試験としては、戦艦、巡洋艦、駆逐艦等の主砲、副砲、高射砲、
機銃砲と砲弾、火薬の性能試験を挙げることができる。
砲弾試射は次のものを対象に行われた。

  「亀が首試射場概念地形図」  射場部分図イラスト

@ 試射場の平地の東部にある山(亀の背から尾にかけての部分)を目標に発射
A 山の手前に置かれてあるコンクリートの壁や鋼板(呉工廠の製鋼部が研究を重ねてつくったいろいろの厚さの鋼板)を目標に射撃。
どういう角度であれば最もダメージが少ないか、を実験によって確かめた。
大和の鋼板の傾斜角度の決定にも貢献した。
B 20キロメートル先の愛媛県・野忽那島の付近に設定された目標(定点)に遠射。
それに関連して試射場の南の浜辺に電柱のような高い柱が数本あり、その柱間に「線的」という鋼線が張られていた。
これらは弾道を修正したり、初速測定をするために使用されていた。
これらは高射砲、機銃砲及び巡洋艦、駆逐艦の主砲・副砲クラスの試験施設で、三基の発射台(砲座)より試射された。
これとは別に、さらに長大な遠射用の発射台が基地の南側に設置されていた。
ここから伊予市の西南方面に向けて試射が行われた。
これは大射線と呼ばれ、その距離実に50キロメートル。
    射線図
  これこそ戦艦大和の主砲、46センチ砲の弾道試験の設備だった。
この大射線については詳しいことは不明だが、前三者の設備、試験内容については次のとおりである。
発射台は平地にコンクリートで固めた台座に主砲、副砲などが据えつけられていた。
台座は三基あった。呉工廠から運ばれてきた砲身や砲弾は、レールによる移動式のクレーンによって所定の場所に運ばれていた。クレーンは「門構え式」が二基あった。
また試射は克明に検証されていた。発射台のそばのコンクリートの壕(地上二.三メートル位の高さ=トーチカ状)から、発射の瞬間から対象物を撃破するまでの様子を高速度カメラ(二台くらいだったと思う)でとらえていた。
その情報は、ケーブルを通じて測定所へ通じていた。測定所は震動を避けるため一山越えた場所に築かれた頑丈な二重の要壁でガードされたドーム状の空間であり、これは現存している。 この中には当時の最先端の精密機械=測定機が設置されていたが、終戦後すでになかった。試射現場では、撃破が修了した時点で検査官が実物の撃破された状況をつぶさに調査していた。
遠射( 20キロメートル射程)の場合は四つの地点から、砲弾の弾道、着弾位置を確認するようになっていた。
四地点とは、大迫の西側にある経が崎、愛媛県の小館場島(大迫の真南にある小さな島)、同じく愛媛県中島の鼻うただきの鼻、野忽那島であった。
着弾点には試験官が高速艇などに乗船して現場の検証を行っていたようである。
遠射を行う際は船舶の航行禁止令が出され、海上は封鎖された。
基地内の様子呉工廠から運搬されてきた試験砲弾は船着場(現存している)に到着し、
クレーンによって発射台に運ばれる。
   本射場略図
  船着場と発射台はレールによって結ばれており、クレーンはその上を移動した。
砲弾はここで薬奏に火薬を装填して信管を取付けて発射される仕組みであった。
そのため付近には大きな火薬庫があった(戦後、進駐軍によって爆破されたが、外観は現存している)。
また火薬に関連する作業所や火薬を運ぶためのトロッコ、レールがあった。
その他、山を隔てて事務所、宿舎、食堂、測定所があった。
実験にはつきものの犠牲者も多数出たようであった。
戦後ここを訪れた時、全体を見下ろす山の斜面が平らに整地され、鉄製の墓標十基余りが並んで立っているのを見た。
また広場には安全を祈るための小さな神社が建っていた。桜の樹がその廻りを囲んでいた。
ここで働いていた人数はよく判らないが、炊事場の様子から判断すると四〇名程度だったと思われる。
職工さん、検査官、海軍の軍人もいたようだった。
試射に関する仕事で、いろいろのものを運搬、設置するために呉工廠砲煩部運搬工の人達も二〇名ぐらいが二週間交替でここに詰めていた。
当時の話を聞いた(昭和一〇年ごろより勤務していた)迫越国助氏もいた。
ただし軍の機密保持のため詳細についてはあまり知る事は出来なかったようだ。

《事故体験談:室氏》

@ 私の居た頃は、信管やジュラルミン製の砲身の実験が行なわれて居た。
A 口径の大きい弾丸は前方の山の谷に、信管の実験では右の岬側の低い尾根を狙って撃たれた。
弾丸が反れれば、山の上の方にとび上がった。
 そのうちまた砲の試射がある。短二〇サソチという大砲だが、記録を失ったので何の目的の兵器だったか思い出せないが、例の亀が首の射場での発射に立ち会った。
大きな土手の下段の洞窟のような所に砲を据えて、向いの山の裾に設けた標的に弾丸を撃ち込むのだが、
それをわれわれは砲身の真上に設けた観測値の中で、横に長いごく狭い銃眼のような孔から見ているのだ。
 砲熕実験部からぎきた工手で、ひどく張り切った、一見砲術下士官出身らしい男がいた。彼はこの試射に大乗気であって、発射のときには、ちょうど砲身の中心線に当たるところに、少し脚を開いて腰に手を当てて、気合いを入れた姿で立っていた。
 この日の射撃は作裂弾であった。発射薬は減装で、二〇サンチ径の大きな薬莢の中に何本かの棒状火薬が入っているだけのを、担当の係員が検査官のところへ持って来て見せていた。
 ところが砲弾の方は実物なのだ。距離が近いから発射とほとんど同時に弾着である。
発射の轟音、煙、ほとんど続いて命中・作裂、煙がたち込めたと思った途端に人が倒れる気配がする。
見ると先刻の工手が倒れている。眉間から血が噴き出て顔面を染めている。一瞬どうしたのか分からない。
「底螺だ!」と誰かが叫ぶ。かの工手はまるで飛んで行く弾を睨んで気合いでもかけるように、弾道の真後ろから見ていたのだ。
 作裂弾の弾底の中央に底螺といって、信管を取り付けてねじ込む栓がある。
作裂の爆圧は四方に正確に均等に発散するので、砕けた弾体は四方に飛散するが、
その中で真後ろを向いている底螺自身はひとつの弾片となって、正確に真後ろの方向に飛び、砲身線上にあった銃眼から飛び込んで彼の眉間に命中したのであった。
 試射場で弾片で死ぬなどという事故は滅多にあることではない。
それが私のすぐ横ニメートルとは離れないところで起こったのである。
 工員たちが毛布をもって来て、倒れた工手の体を包み、数人で抱えて狭い壕の階段を下って行った。

(ビデオ)   旧呉海軍工廠 亀ヶ首試射場の現状(15分)
  撮影著作:空井英憲さん(呉市東畑2−4−29)
  30分の作品を15分に短縮編集責任:朝倉邦夫


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