デジカメ報道「今の呉軍港」 2009.11.8.(日曜日)

   呉軍港Eバースの中国海軍練習艦「鄭和」   「81 鄭和」

  118年ぶり (昔1891.7→今2009.11)
 親善訪日の中国海軍練習艦「鄭和」が呉軍港に寄港


  海上自衛隊はホストシップとして練習艦「やまぎり」を派出。 やまぎり
  2年前から始まった日中防衛交流の一環。
  呉軍港へは、1891(明治24)年7月に北洋艦隊(定遠など)が訪問して以来。


日程は、
11月5日に江田島の幹部候補生学校へ入港。海自側は呉音楽隊の演奏などで歓迎。
  乗員は幹部候補生学校を見学し、海上自衛隊幹部候補生学校の生徒らと交流。
6日はスポーツ交歓(サッカーやバレーボール)を行い、午後、呉軍港 Eバースへ回航。
7日は艦艇相互訪問問や広島市の平和記念資料館・原爆ドームを見学
  外国の軍人が集団で同公園を訪れるのは極めて異例。海上自衛隊側が勧め、
  中国側が受け入れた。当初は全員が軍服着用の予定だったというが、直前に
  方針変更され私服での視察となった。
  問い掛けには一様に「上官の許可がないと、話せない」と口をつぐんだ。
8日は呉市の海上自衛隊呉史料館(鉄のくじら館)=潜水艦実物と資料展示》や
  呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)=戦艦大和の大模型、資料》を見学。
9日に呉軍港を出港。

 なお、親善訪日を謳いながら、平常は立ち入れる「E バース」への立ち入りを禁止し、
    一般市民との交流や見学は拒否をした。慣例に反した「異常事態」であった。
 また、市民から批判のある「鉄のくじら館」や「大和ミュージアム」見学をするなど、
   「平和を望む人民」との交流では無く、「軍事上」の交流であることを見せつけた。

  丘の上から  Fバース入り口から  「81 鄭和」
  「やまぎり」と「鄭和」  「Eバース入り口」  歩哨兵

《報道・情報》
中華人民共和国駐日本国大使館によると
 中国海軍の練習艦「鄭和」号(1987年に就役)が韓国 日本訪問に出発
 中国人民解放軍海軍の練習艦「鄭和」号が韓国海軍と日本海上自衛隊の招きで、
韓国と日本をそれぞれ4日ずつ友好訪問するために、26日大連を出港した。
 指揮官は海軍副参謀長の劉毅少将、艦長範魁挙海軍上級大佐、学生と将兵計365人が乗り組んでいる。
「鄭和」号は10月29日から11月2日まで韓国の鎮海港を、
11月5日から9日までは日本の呉港を友好訪問する。
 滞在中、中国海軍工程大学、海軍航空工程学院、海軍大連艦艇学院、海軍士官学校の
230人の学生が韓国、日本の学生と幅広く専門的な交流活動を行う。
 また、中国海軍の4人の学生が韓国海軍軍官学校と日本の海上自衛隊幹部候補生学校に2〜3日、体験入学する。
一方、日本側の2人の学生が26日から「鄭和」号に乗船し、中国側学生とともに全行程の航行訓練に参加する。
 航行訓練期間中、日本の学生は中国海軍工程大学、海軍航空工程学院、海軍大連艦艇学院、海軍士官学校の230人の学生とともに、
海図への記入、天文観測、地理観測など航海関連科目の訓練を行い、艦艇の合同科目訓練、艦艇の部門別訓練と管理、部門別の艦艇操縦訓練に参加し、艦艇の宿直勤務の見学などの訓練を行う。
 今回の「鄭和」号の訪問では、中国海軍工程大学と大連艦艇学院の16人の女子学生も参加するという。
中国の軍学校の女子学生が海外訪問任務を行うのは今回が初めて。と言う。
(大連 10月26日発 新華社)


 ホストシップとしての練習艦「やまぎり」(定係港は呉)
「やまぎり」は、1984(昭和59)年度計画 3,500トン型護衛艦 2223号艦、
1986年起工、1987年進水、1989年に第2護衛隊群 第42護衛隊に配属。
2004年に練習艦に種別変更、艦籍番号がTV-3515に変更、練習艦隊 第1練習隊に転籍。

「鄭 和(てい わ)」の命名由来
中国明代の武将。永楽帝に宦官として仕え、軍功をあげて重用され、南海への七度の
大航海の指揮を委ねられ、東南アジア、インド、紅海、東アフリカ沿岸まで遠征した。
大航海はヨーロッパの大航海時代に70年ほど先んじての大航海であり、非常に高く評価されている。



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