「大和ミュージアム」 課題・見学記

W、大和ミュージアム シンポジウム

  『戦後60年「戦艦大和」を語る』
              2005(平成17)年10月10日、呉市文化ホールにて

   発言内容の概略メモ (評注は、聞いた感想、寸評)   案内チラシ


1、小笠原呉市長の挨拶
 待望の大和ミュージアムが平成17(2005)年4月23日にオープンした。
基本構想の策定は、平成2(1989)年からで、足掛け15年経過した。
 戦後60年を記念し、歴史の記憶が薄れつつある。
呉市は日本の現近代史と共に歩んできた。
歴史を後世に語り継ぐ中で磨かれた呉海軍工廠の技術を伝えていく。
また、戦争を経ているので平和の大切さを認識していただくために建設した。
 全国的な関心を集め、入館者も当初予想の40万人が、3ヶ月で達成し、現在は87万人に達している。
 半数近くは県外から来ている。アンケートでは、展示内容に高い評価を得ている。
経済的効果もあるが、それ以上に嬉しい事は、全国に呉市の名前や特性を認識してくれていることだ。
 今後、観光客の誘致、企業誘致、定住促進などに大きなプラス効果を持ってくる。

 (評注:呉市長選挙直前の政治状況の中でシンポジウムは開催された。)

2、シンポジウムの概略 (コーデイネーター 戸高一成館長)

 A.「戦艦大和との関わり」について

 阿川弘之氏
…大和の秘密保持が厳しかった。
 大和の艦長になる山本五十六でも、建造中の大和の見学ができなかった。
 呉線は列車に鎧戸を下ろさせ、呉軍港や造船ドックの戦艦大和を見せないようにした。

 松本零士氏
…戦争で帰ってこなっかた働き手のいた家の凄惨な状況を知っている。
 だから宇宙戦艦ヤマトのアニメを依頼されたとき、3千人の人が海の底に眠っている重みで辛い立場にあった。
 テーマがあまりにも重過ぎ、人の命を軽々しく扱っていいのか、遺族関係者も見ているのだから悩んだ。生涯考え続けるテーマである。
 これは大和の死者のことだけではない、大和に立ち向かわされた側、そのときの時代背景全部を含めて考えている。
 ヤマトのアニメは、生きて帰る地球の船として描いた。
「地球は宇宙のまほろば」と言うテーマで、旅をする船に置き換えて書き換えた。
大和は、デザイン的にはすばらしい戦艦で、アメリカでも「戦艦は大和を持って終わった」と。
 歴史的にはすばらしい戦艦だとは思っているが、戦死者や他の護衛艦の人たちのことを思うと、
また、あの戦争全体で失われた人たちのことを思うと、言い知れぬ思いが重圧感として残っている。

(評注:宇宙戦艦ヤマトは人間愛を基に戦争を憎み、悲惨さや被害、愚かさを描いたものだ。そのモデルの大和ミュージアムに、もっと戦争の悲惨さや愚かさを展示に生かして、との思いを述べたのだ。)

 的川泰宣氏
…子供時代より話によく出ていたので、ヤマトという言葉は神様みたいな響きがある。
 ロケットは太平洋戦争中に急速な進歩をした。日本はドイツに次いで進歩していたが、 終戦時に資料を全て焼却した。
 戦後、ペンシルロケットを始める時、大和の火薬を設計していた村上さんがペンシルの燃料を作ってくれた。
 ヤマトとロケットが不思議なところで結びついていた。

(評注:ヤマトとロケットは巨額の浪費と無用の長物、国威の発揚と軍事技術の最高技術という面で共通性を持つ。さすが軍事都市呉とは不思議な縁があるナー!)

 半藤一利氏
…戦後、GHQが「太平洋戦争史」をだし、その最後の所に「とんでもない船が出来、沖縄戦で海の藻屑になった」と言う記事を見て戦艦大和のことを知った。
 昭和30年11月号の文芸春秋に大和の主任設計者福田氏に聞いた大和の話を「戦艦大和未だ沈まず」として掲載した。
 士官以上の部屋に冷房があったとか、一度甲板に出ないと右舷から左舷に行けない、とか、機関室と火薬庫の間の隔壁を400mmの鉄板で強化したので、20本の魚雷が命中しても火薬庫は爆発しなかった、などを聞いた。
 山本五十六は、設計課に来て「これからは空が大事、大艦巨砲は要らなくなると思う」 と言っていた。
設計者は「絶対沈まない船を造って見せます。」と言っていた。山本は大和の艦長室で、「よい船を造ってくれた、この船さえあれば戦に勝ってやるぞ」と褒めていた。

(評注:大和を批判した山本の歴史的限界を知り、軍国主義社会の愚かさを嗤う。)

 坂上 順氏
…呉の皆さんの前で大和を語る資格はない。皆さんは大和となると熱く長く語られるので。
 なぜ、「男たちの大和」を作ろうとしたか。
前に、知覧から出撃した特攻隊の「ホタル」を作った。その反響で大和の生存者の遺族の方が、父の遺灰を散骨に行った。
それらの体験から、8・6のヒロシマ原爆の慰霊祭があっても、ヤマトに関して、なぜ慰霊祭がないのかと思った。
 大和が沈まず作戦通りに沖縄に乗り上げていたらどうなっていたのかと思うことがある。
 ヒロシマは非戦闘員の市民が犠牲者だが、ヤマトは武器であり戦闘員だからか、と思った。
 最近は大和について語り易くなったが、劇中で「死に損ないといわれても良い。生きて生きて生き抜いてやる、死んでいった者も、そうでないとその者たちも心も無かった事になってしまう」とした。
 死んでいった人たちや家族の思いをどう語るか、それを作品にした。

(大和の乗組員も戦争犠牲者だ。被曝者だけが犠牲者ではない。
 大和ミュウジアムも技術だけでなく、人間の苦悶をもっと展示すべきだと言っている。)

 小笠原臣也氏
…吉田満氏の「戦艦大和の最後」を読み大変感動した。
 海事歴史科学館を創るに際し、呉市では海軍の造船技術を伝える博物館を創るのがふさわしいと思った。
 しかも、ただ技術だけを紹介するのでなく、
「なぜ呉に海軍が設けられ、海軍工廠が作られ、国産の艦艇が作られ、その頂点として最高の戦艦大和が造られたか」
日本の歴史的な、国策的な背景の流れの中で、海軍工廠や呉市が発展し、その頂点に大和が生まれたことを紹介しようと思った。
 しかし、大和は最後に悲劇で終わった。大和は明治以降の富国強兵策の全体の流れの中で、最高の技術レベルを示すが、日本の軍部が方向を誤り、兵器の用い方も誤って、最後は国際的な孤児になって敗戦を迎えた。
 大和はこれら全てを象徴する意義を持っている。これが多くの人が大和を見て感慨にふける所以ではないかと思っている。

(評注:この「大和」論は、従前からの戸高館長の所論にそっくりだ。意気投合したか、どちらが真似たかな?)

 戸高一成氏
…多くの人から話を聞くうちに大和は世界一だとの意識を持ってきた。
大和が日本人の心に沁み込んでいる「大和」の魅力について語ってください。

B.「戦艦大和の魅力」について

阿川弘之氏
…当時の日本人の能力の最高レベルまでだした結晶が大和だった。ただ、実際は役に立たなかった。初めからそれを指摘したのが山本五十六だったのは象徴的な意味を持っていた。
 日本海軍はイギリス海軍を手本にしてきた。それで言論の自由を割合大切にする傾向があった。
 大平大佐は大和・武蔵はやがて日本を滅ぼすと言っていた。「貧乏海軍が大和武蔵を持つことは、まるで貧乏人の娘がとんでもない晴れ着を二着持っているのと同じだ、それに振り回されて身を滅ぼす」と。
 立派な船に立派な士官兵士が乗り込んでも、石油の生産量のない日本では終いには動くことすら出来なくなって、何の働きもしなかった。
 この矛盾を考えて欲しい。あれほど秘密にして大切にしていた大和が無用の長物だったという教訓は大切にしないといけない。

(評注:大和(の思想)は日本を滅ぼした、幅広い視野を持たない軍国主義が、無用の長物=大和を造った歴史を展示せよ、それが未来につながると訴えている。)

松本零士氏
…終戦のとき、愛媛で観た大人の状況。祖母が日本刀を持ってきて、敵兵が来たら差し違える、武士の子なら覚悟をせよ、と言っていた。
 小倉で、外国軍の戦車に走り回られ、こびへつらう大人を見て敗戦の無残さを見た。写真を撮られるのも、物を貰うのもいやだった。悔しかった。
 そのとき、大和や八幡製鉄所があるのが誇りだった。プライドを守る根源になった。そこに大和があった意義がある。
 あれだけのものを作った日本だから、また何とかなると、日本人のプライドの根源になり、プライドを守ったシンボル的意義があった。
 大和の存在は、自分の精神的な成長のバックボーンになっていた。プライドは大切であった。そのプライドを守ったのが大和であった。
 戦後、映画「戦艦大和」を観て、その実態を知った。泣いて印象に残っているのは、大和が沈み、屍が海中に浮かんでいる、その子供が家でハイハイしてはしゃいでいる、それを観るのが子供心にもつらかった。
 大和・戦死・遺族子供と言うのが脳裏から離れない。それと共に工業技術的・科学的な意味でプライドを支えてくれた偉大な船だと思っている。

(評注:大和しか誇りの源泉がない軍国主義教育を受けたが、人間愛から戦争に反対し、戦争の愚かさ、悲劇を訴える作家になった。)

的川泰宣氏
…大和の魅力は名前がよい。国際宇宙ステーションの日本の実験室の命名を募集したら、大和がダントツだった。が、ヤマトと名前をつけるとアイヌの人に悪いと言って、キボウと名づけた。
 大和ミュージアムの入館者は日本一で、半年で100万近くある。それほど大和は魅力がある。魅力の背景を考えて見る。
 大和はあまり活躍が出来なかったが、今とでは経済力がまったく違う。世界第2位の経済力を利用して、大和のような大きな力を持ったプロジェクトを創るべきだ。
 国全体をもっと統合して、世界に貢献できる大きなベクトルを創る必要がある。
 大和の魅力は、あの時代、あれだけの大きなものを造る人がいたことも偉大だし、日本の物づくりの総力を結集して作り上げたことを今の日本は学ぶべきだ。
 大和ミュージアムが一時のブームで終わらないためには、私たちが日本の未来を考え、国を大きなプロジェクトで動かしていく決意が必要である。

(評注:大和の教訓から、宇宙船などの巨大プロジェクトで国威を発揚するファシズム思想に憧れる海軍技術将校ばりの思いを引き出した。)

半藤一利氏
…戦後、連合艦隊司令官の草加龍之介氏に会ったことがある。大和特攻を伝えに行った時、大和の司令官の伊藤整一中将が反対したが、全軍特攻の先駆けとして行けというと、了承して、作戦が失敗したときは私の判断に任せてもらう、との承認を得た。
 米軍の攻撃で沈没するとき、伊藤司令官は「作戦を中止」した。その命令で、残っていた駆逐艦4隻が沖縄行きをやめ、大和の生存者を救出し、日本へ帰ってきた。
 もし命令がなく、作戦が続行されていたら、残っていた4隻の駆逐艦も沈んでいた筈だ。 大和特攻隊は大和の乗組員だけではなく、その他の艦船も全部特攻であり、その人数は、飛行機の特攻隊より多いが、作戦中止で特攻でなくなり、特攻隊と認められず2階級特進をしなかった。
 どんな無理な作戦命令も、人間的な判断が正しければ、悲劇はなくてすむということが有り得る。船はどんなに立派でも沈む、技術が優れていても虚しくなる事が有る。
 人間が英知を働かせ、考えることが大切だ。大和を考えるときには何時も思う。人間はもっと利口にならなければならない。
 つまり、人間は戦争をしてはいけないと言うことだ。

(評注:戦艦大和を展示するなら、無謀な戦争で失う犠牲や悲劇、無知を中心に展示せよと提起している。)

坂上 順氏
…「男たちの大和」の役者は、歴史を背負った人物になりきり、誇りを持って演技をした。  映画を作るとき、死者や子供たちはどう観ているだろうかと思いながら作っている。
今の日本人は日本の心を失っているようだ。

小笠原臣也氏
…大和の魅力は人により異なる。10年前、戦後50年を期に「大和を語る会」が企画して「大和を思う」というシンポジュウムを開いた。
 以後、毎年シンポジュウムは続けられ、歴史や技術面、証言、海底探査の状況などいろんな角度から大和が語られてきた。
 9回してもまだまだ語りつくされていない。それほど大和は深いものを持っている。

戸高一成氏
…大和はすばらしいものを持っている。しかし、及ばなかった面、力の足りなかった面、もっと使い方を考えねばならなかった面などもある。
 戦後に残されたもの、引き継いで開発されたものなどについて話してください。

C.「戦艦大和を引き継ぐもの」について

的川泰宣氏
…当時の技術が総動員された。戦後日本の物造りは衰えなかった。
 大和の一番大きなことは、ビッグプロジェクト(システム)で大和を作ったことだ。 それは宇宙事業に引き継いでいる。
 ロケットも100万個以上の部品から出来ている。それを小さなコンポーネントに分け、総合してシステムを作っていく。
 50年前、ペンシルロケットから始まり、大和と同じく、他国の力は一切使わないで、今、ミュー5型ロケットを作っている。世界最大の固体燃料だ。
 大きなプロジェクトとしての類似性がある。大和を造った呉の街は、町工場が多くあり、H2ロケットの液体燃料の各部品を呉で作っている。
 大和の技術はシステムでも個別技術でも引き継がれている。

(評注:大和を賛美し、国産にこだわるロケットは、兵器の影があるからだ。海軍技術将校の面影を見た。ピラミッドは大和より凄いビッグプロジェクトだった。)

戸高一成氏
…それぞれの人が、技術と歴史と人間的な係わり合いを違う観点でみている。そこに大和の魅力がある。

D.「大和ミュージアムの今後に期待するもの」は何か

阿川弘之氏
…予想外の日本人が、強い関心を持って観に来るのは、日本人が60年間、自信を失っていたが、大和ミュージアムをみて、自信を取り戻すことが出来たからだ。
 その点をもっと生かせたら大和ミュージアムは大きくなるのでは。

松本零士氏
…大和の技術でプライドを持てコンプレッスに陥らずにすんだ。
 これから大和ミュージアムの運営は、大和を取り囲む時代背景や文物をを共に展示すべきだ。世界中のその時代の文物を展示すると比較対象になる。
 物を書くとき、一つの資料に頼ると過ちを犯す。その周辺のあらゆる資料を集め、総合的に資料を見るうちに真実が分かってくる。
 例えば、大和を攻撃した戦闘機の照準器やアメリカの資料を展示するなど。古賀中将の手紙には、航空兵力の拡充が大事だとか、その当時から書いている。そのようないろいろな日米双方、外国の資料も展示をしたらよいのでは。
 それにより、日本の技術の位置や考え方、世界での水準が分かるのではないかと思う。
 大和は自分のプライドを支えてくれた大事な船であったと言うことと共に、多くの亡骸が今も海底に眠っている事はとても辛いことです。だから、これを扱うことは、どういう意味になるのか悩みながら取り組んでいる。
 だから「技術」と「人の命」というものを大事にして展示を充実したらよい。

(評注:大和のみを見て、米英の科学技術や思想の優秀さも見ない展示では、再び過ちを犯し、戦争への道を歩むと危惧している。)

的川泰宣氏
…大和が持っていた過去の魅力を、日本の未来を築く力に生かすように転換するには、如何したら良いか。
 大和の存在が大きな問題なので、「大和ミュージアム」を創ってきた人たちの苦労、プロセスを皆の前に出していくべきだ。物の展示だけでは人の心を打たない。
 子供たちのためにも海事歴史科学館だから、歴史を学び科学的な見方をしていくのが大切だ。
 入館者統計で呉の人が少ない。地元の人が拠点として活用できるようにせねばならない。年寄りだけでなく、家族連れが世代を継いで来れるようにしなければならない。

半藤一利氏
…「仏作って魂入れず」の言葉があるが、建物は出来たが、どういう魂が入るのか、悪い魂が入らないように願いたい。

(評注:悪い魂とは=国粋主義的軍事技術・大和第一主義、軍国主義的展示が中心で、戦争の被害や悲惨さ・愚かさを展示しない事を憂えている。)

坂上 順氏
…映画に出演した人は、7ヶ月くらい「大和」と生活を共にした。中高生と記者会見したが、「大戦で多くのものを失ったが、日本は何を失ったか考えると、礼儀だと思う」と言った。
 これから技術が日本にとって重要だが、そういう日本人が居たという事も伝えていって欲しい。

小笠原臣也氏
…「大和ミュージアム」に全国の人に来て欲しいが、特に修学旅行で拠点にして、原爆記念館を回ると共に、考えて欲しい。

戸高一成氏
…「大和ミュージアム」は、単に過去の技術的遺産を見せるだけではなく、人間・技術・歴史を通して、未来を見せる施設・館にしたい。
                                  以上

    (メモのミスや勝手な評注コメントの失礼をお許しあれ。)



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