「大和ミュージアム」 課題・見学記

Y、大和ミュージアムの戸高一成館長は
 「館長としての資格」を問われている


正論 2007・10月号 (産経新聞社刊)に以下の記事が出されていた。
 『事実を無視しての謝罪に英霊は泣いている
  ”あの戦争”を誇りに思って何が悪いのか』
 と題した対談を 上坂冬子、戸高一成、吉村泰輔の3氏が行っている。

 このタイトルの対談に出席して、同調した発言をしたことは、
大和ミュージアムの館長としての資格を問われるものだ。
 上坂・吉村両氏は作家であるから、自由な発想やフィクションを述べる立場にあるが、
大和ミュージアムの館長・戸高一成氏はミュージアムの歴史展示を具体化する責任者であるから、
その歴史観は常に公的な批評に曝されてしかるべきであろう。

《対談中の戸高氏の発言紹介と評者の(寸評:)》

 《戸高》 歴史を今の視点、価値観だけから見ることの危うさがそこにありますね。
その時代を理解するには、当時の状況を可能なかぎり斟酌しなければならない。
その当時の世の中を多面的に理解しないと客観的な判断は下せません。
戦後、定説のように語られてきたのは、日本は英米と協調して国際秩序を守るべきだったのに独伊と結び、その結果として対米戦が不可避となったことが失敗だったということですが、
これを裏返して考えてみれば、では英米と協調してドイツと戦争をするのか、ということです。
また、英米の植民地はそのままにしておくのか、ということです。

(寸評:ほとんどの人は、そんなことを言っていない。独断的な問題設定ではないか。
理由はともあれ、以下の大きな事実は動かせない
1、アジア太平洋諸国に軍隊を送り、幾千万の人々を殺傷し、富を奪い、国土を荒廃させた。
2、軍部が独裁し、軍国主義・ファッシズムで国民の自由を奪い、生活を破壊した。
3、数百万人の国民が戦場や空襲で殺傷され、多大な国富・財産を失った。
この自明な事実を大筋で認めないで、「止むを得ない、仕方が無かった」と正当化し、
「”あの戦争”を誇りに思」うのは、まさに「盗人にも三分の理」「盗人猛々しい」。)

 《戸高》 日本はベルサイユ講和会議で人種平等規約を提起しましたが、それはアメリカやオーストラリアなどによって葬られてしまった。
唯一の有色人種の近代国家として、ただ単に英米の仲間入りができればそれでよかったのかという問いかけもできる。

 (寸評:第2次世界大戦は、4つの側面があった。
1、帝国主義戦争で、持てる国(米英仏)対 持たざる国(日独伊)の植民地獲得戦争
2、政治体制の覇権抗争で、民主主義(連合国)対 全体主義(枢軸国)の戦争
3、帝国主義国(日独など)の侵略に対する、アジア・東欧などの民族独立・抵抗戦争
4、資本主義体制と社会主義体制の抗争(独ソ・日ソ戦)、戦後世界へ継続して冷戦に
世界史全体の中で論ずべきで、都合のよい点だけを取り上げて日本を免罪すべきではない。)

 《戸高》 二十世紀前半は、本当に不幸な時代としか言いようがない側面があります。
外交交渉は武力で決着をつけるというのが何ら不自然でない、ごく当然の時代だったわけです。

 (寸評:国際連盟を中心に、平和軍縮の方向が国際世論であり、各国も努力していた。
「武力で決着」は「当然の時代」ではない。)

 《戸高》 そうした中どのような選択肢が日本にあったのかというのは、日本の敗戦という結果を知っている今のわれわれが軽々に決め付けてはならないのですね。
たしかに日米戦争を避ける道筋はあったかも知れない。
しかし、それはまた別の武力闘争を選ぶことに過ぎなかったかも知れないし、
英米と一緒になって有色人種の独立を妨げる道だったかも知れない。
こうした想像力が、戦後、「反省」を目にする人たちには概して欠けている。
むしろ定説をそのまま鵜呑みにするのではなく、真摯なる問いかけをしてみることが必要だと思います。

 (寸評:帝国憲法をおし枉げた軍部独裁の政治経過を無視し、政府権力内での和平取り組みや民衆の反戦平和への志向を無視して、どんな「真摯なる問いかけ」ができるのか。)

 《戸高》 そういう話があったということが歴史の多様な事実の一つなんですね。
私は歴史と向き合う上で、それが事実ならばすべて認めましょうという姿勢です。
同じく、それが事実でないのならば認めない。
いわゆる慰安婦問題で米下院が対日非難決議を採択しましたが、これは事実に基づかない粗雑なものでした。
安倍首相はこの四月に訪米した際、慰安婦への同情を表明し、「謝罪する」と述べて、ブッシュ大統領もそれを「受け入れる」と答えました。
しかし、問題はそれで終息しなかった。
 やはり事実に基づいてきちんと主張すべきは主張するという姿勢が大事だと思います。
戦争というのは国家の一つの選択ですから、なぜわれわれはその選択をしたのかという自らの結論を持っていなければならない。

 (寸評:本来なら、敗戦後に、国民法廷で開戦の戦争責任を明確にすべきであったが、
天皇制を含む占領政策や国民の無力で行われず、
連合国による(東京)戦争裁判で決着させたから、問題が今に持ち越されている。
戦勝した連合国の裁判でも、当時の国民は当然視し、納得したのが「事実」であり、
国論を二分したサンフランシスコ講和条約でも、政府は調印し、国際社会で東京裁判を 受け入れたのも「事実」だ。)

 《戸高》 それが戦後は、選ばれた一定の答えだけが正解とされて、他の答えが全部排除されてきた。
物事にはたくさんの側面があるわけで、それこそ一つの面だけを見て判断しようというのは土台間違いで、十、二十、五十、百という側面を見た上で判断しないと実体は分からない。
そういう考え方がずっとされてこなかったことが、戦後の歴史に対する歪みの大きな原因だと思います。

 (寸評:瑣末な個々の誤認があるとしても、大局的な真実を否定する誤った歴史認識ではないか。)

 《戸高》 ですから、史料はまだかなりたくさん残っていますから、今からでもそれに基づいて毅然と主張する。
それで一時的に摩擦が生じても長い目で見ればそのほうがよい。
日本政府の不作為は、事実に基づかない非難に対して、それに反論できる材料を持っているにもかかわらず、それを有効に使ってこなかったことです。
 もちろん、史料の中には日本として責めを負うようなものが出てくるかもしれない。
しかし、それも併せて世界に向けインターネットなどで公開していくことで、強制連行にしろ慰安婦問題にしろ、
きわめて恣意的に選択されたソースが独り歩きしている状況への中和剤になると思います。
その意味では、私は歴史問題に対してわりと楽観的なところがあるんです。
ベースになる史料の多くが、アジア歴史資料センターから、ネット上に公開され始めているからです。
これらの資料で日本の主張を補強していけば、本当に強いツールになります。
 その上で政治家がそれをきちんと用いる。そこに踏み出さなければダメです。
一国が独立国であるということは、その国に主張があるということです。
相手国と主張が違っても当然で、
摩擦が生じたときにはその都度外交的に話し合いができればいいのであって、
一方的にどちらかの意見をのむのが外交ではないのですから、きちんと交渉するための背景をつくることが大事です。

(寸評:歴史的な個々の事実そのものは無限にある。
歴史観によって事実を取捨選択し、歴史の真実として構成され記述される。
「強制連行にしろ慰安婦問題にしろ」実際に体験している日本兵や被害者が居り、
それなりの資料もあって、大筋で多くの人々や世界の国々の共通認識となっている。
それを居直り強盗的に、身勝手な自己主張のために、恣意的に些細な資料を漁り、
歪曲していく姿勢では、友好的な外交にはならず、力による対決となっていくしかない。
大和ミュージアムを開館する意義は、「技術」と「平和」の提示だと言い続けているが、
「”あの戦争”を誇りに思って何が悪いのか」という戸高一成館長の歴史認識では
「戦争に勝つための誇るべき技術」と「日本中心のローマ(武力)の平和」で歴史展示が構成される危険性があるし、
「人々の生活」と「平和を守る」開館の意義に合致しない。
大和ミュージアムの館長として相応しい人かどうか、世の人は問はざるを得ない。)



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