「大和ミュージアム」 課題・見学記
Y、戸高一成館長の改憲推進論には問題がある
2007年の4月と11月に朝日新聞や毎日新聞に憲法9条と自衛隊に関したコメントが掲載された。
ことは大和ミュージアムの将来像と平和の構築の課題だから論評せざるを得ない。
《記事紹介》
T、2007.04.11 (朝日新聞社・東京朝刊)の記事
(60歳の憲法と私)
条文の落差、検証が必要
大和ミュージアム館長・戸高一成さん
日本国憲法の本質は、国民主権と平和主義という理念をうたった前文にある。
以下の第103条までの条文は、それを達成するための「手段」でしかない。
9条もその例に漏れない。現在の改憲論議は手段を守るべきか否かという話に終始し、
手段が目的とすり替わっている印象がある。
改憲派も護憲派も、結論が先にあるという感じだ。
その前に、手段である条文が現実に即しているか否か、検証作業が必要なのではないか。
私は、日本国憲法の理念は崇高で守るべきだと信じている。
しかし、条文は、建前と現実の落差が大きくなっていると思う。
例えば、現在の自衛隊は、冷戦時代の規模よりも大きくなった。
現状の憲法解釈で、自衛隊をより良い形でコントロールしていける手段はあるのか。
どんなに優れた法体系でも、半世紀たてば現実にそぐわない部分は出てくる。
法律と現実の過度の乖離(かいり)は好ましくない。
法違反は正すべきで、それが不可能なら法律を改正すべきだ。
グレーゾーンが大き過ぎると、法律は権威を失う。
法律が効力を持たない社会がどんなものか、国際社会で現実に起きた紛争や混乱を見れば分かるはずだ。
戦前の法体系は、実態を条文に無理に合わせるものだった。
戦争の惨禍を記録に残すため体験者らの聞き取りを続けているが、元兵士らの話から浮かぶのは、戦陣訓をはじめとした文言がいかに彼らを縛っていたかだ。
戦前の軍部の暴走は、「不磨の大典」とされた明治憲法が定めていた天皇の主権や統帥権が、過剰な厳格さで追求された結果だった。
人間の社会と法律が「いい関係」を保つため、制定から一定期間を過ぎた法律はすべて再検討の対象とすべきで、その公的なシステムが必要と考えている。
*とだか・かずしげ 大和ミュージアム館長(広島県呉市) 59歳。
海軍史の研究者。昭和館(東京都)の設立にかかわり、同館図書情報部長を経て、現職。
U、2007年11月7日(水)(毎日新聞)の記事
シリーズ・語る:テーマ・憲法/3
時代に合わせ見直しを
◇大和ミュージアム館長・戸高一成さん
日本国憲法の存在が、戦後の日本を守り育てたのは事実だ。
しかし、作った時点でベストだったものが、いつまでもそうとは限らない。
人間社会は移り変わっていく。
憲法は60年間も手が入れられず、現実と乖離(かいり)している面もある。
これは法の権威にもかかわる。実際に守られるものにするよう見直すべきだ。
憲法を文字通りに解釈するなら、自衛隊は存在できない。
しかし、日本が世界有数の陸海空軍を保持しているのは自明だ。
憲法9条と現実は、あまりにかけ離れている。
独立した大きな国で、軍隊のない国は事実上存在しない。
国を守る目的に必要とされ、存在してきた。
もう少し現実的にものごとを考えなくてはならない。
私は自衛隊の存在を憲法で認めた上で、戦力を厳重にコントロールすることが重要と考える。
一方、今の自衛隊にも再検討すべき部分はあると思う。
太平洋戦争の教訓は、ロンドン条約以後に統帥権などの問題で、軍が政治の干渉できない部分を獲得し、シビリアンコントロール(文民統制)が失われたことだった。
軍隊は国のツールだ。政府がその意図を働かせ、管理される組織に過ぎない。
自衛隊も憲法との整合性をさらに高めるべきだ。
時々の世相に社会は影響されやすい。開戦機運の高まりから、一気に戦争へと進んだ歴史があるのも事実だ。
憲法の改定も時間をかけたい。急ぐ必要はない。
しかし、憲法なら50年に1回程度の慎重な見直し作業も必要と思うが、既にそれを超えている。
大和ミュージアムは05年に開館し、最初の1年で約170万人と博物館で全国一の入館者数を記録した。
今年度も100万人超を予想している。遠方からの来館者も多く、その7割は県外からだ。
戦艦大和には、過去の日本の誇るべき側面と反省すべき側面がある。
大和への関心の高さは、そういうことを客観的に学び直す時代にようやくなったことも示していると思う。(構成・戸田栄)
■人物略歴
◇とだか・かずしげ
1948年生まれ。昭和館(東京)の設立にかかわり、
広島県の呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)館長。
専攻は書誌学(日本海事史)。
(寸評:要するに、「法律(憲法)と現実の過度の乖離は好ましくない」から「法律(憲法)を改正すべきだ」と言っているが、
それは時の政権の勝手な解釈で創り出した現実を重視し、それに追随しようと言うことだ。
理念を枉げて現実に近づけるのでは、理念は守れない。手段が目的を壊してはならない。
現実を理念に近づける努力をすべきではないだろうか。
解釈憲法で現実の自衛隊をつくりだし、憲法を改正して「不法な現実」を正当化すれば、
今後とも、恣意的な法解釈が常に優先し、「法律(憲法)は権威を失う。」
自衛隊への文民統制は、解釈憲法の中でも法律を整備すればいくらでも出来る。
前文と9条が「軍備と出兵」の暴走を阻止し、コントロールしている「現実」を尊重すべきではなかろうか。
戦前、軍部の持ち出した「統帥権の独立」で憲法を枉げ、内閣を支配して軍部独裁の現実を創り出し、
日本を破滅に追い込んだ手法をまた踏襲せよというのだろうか。
軍部の暴走は、都合の良い一部のみを都合よく解釈して、それを「過剰な厳格さで追求」した
”ご都合主義=現実重視”の考えで、現在の解釈憲法の自衛隊の現実もそうだ。
再軍備と自衛隊の発展は、憲法をなし崩しにして、ご都合主義で現在に至っている。
改憲し、文民統制を厳格にしても、同様に、ご都合主義でなし崩しにされ、また現実を積み上げる。
歯止めが効かないのが歴史の教訓だ。
憲法を改正するとは、現時点では、歯止めの効かない現実に追随することで、時の政権の都合で
恣意的に改正され、安定した法の支配が不可能となる危険性があるのでは?
ましてや改憲の真意は、自衛隊を憲法的に合法化するだけではなく、
海外出兵を合法化することにあるのは、改憲論議の経過からも明らかである。
「大和ミュージアム」の展示内容や入館者数も、改憲論推進の風潮の中で利用されており、
「武力による平和(ローマの平和)」を当然視する内容が更に増幅される危惧がある。)
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